American Rock 『いとしのレイラ』デレク&ザ・ドミノス

クロスレヴューvol.1


No.1
名前
電子メール xenon-cd@02.246.ne.jp
URL http://www.02.246.ne.jp/~xenon-cd/
いつ聴いたか 忘れた
その時の境遇 多分高校生だったと思う
今でも聞きますか 邪道だけど、好きな曲だけ抜粋してたまに聴きます。年間に2回位かな。
レヴュー本文

 60年代のクラプトンはギターの求導士と言うにふさわしかった。ブルースギターに自己の鍛練の場を求め、ひたすらギタリストとして精進する姿はクリームの『Wheels Of Fire』や『ライヴ・クリーム』といったライヴ盤の中で特に確認できる。『レイラ』発表当時、多くのファンや関係者がクラプトンの転身ぶりに驚いたようだが、クリームもドミノスも後追いだった私は、さほどの違和感はなかった。このアルバムにおけるもう一人の主役デュアン・オールマンのアルバムも体験していたからだ。

 ギタリスト達に出世の機会を与え、しばらくの間ギタリスト主導型のシーンを形成することにもなる英国のブルース・ロック・ブームは多くのギターヒーローを輩出したが、米国ではキャンド・ヒートやポール・バターフィールドといった一部を除けば極めて稀だった。ブルースの本家本元の国だから当たり前である。そんな数少ない米国産白人ブルース・ロックの中にあってオールマン・ブラザーズ・バンドの『1st』は白眉だ。このアルバムは、一人のスーパーギタリストのために存在しがちだった英国産ブルース・ロックではなし得なかったバンドという集合体でのベクトルがブルースを咀嚼(そしゃく)する方向に向いている(*筆者註)。クラプトンとオールマンではブルースに対する解釈が大西洋を挟んだ距離だけ違っていたのである。

 本場の南部ブルースを産んだ環境で呼吸してきたオールマンが『レイラ』で果たした役割は、身を削るような活動ばかりしてきたクラプトンにとって、どれほどのものか想像に難くない。オールマンと共有した時間は短いながらも音楽観を変えるには十分だっただろう。

 クリーム時代に「ギターが俺の言葉」と発言していたクラプトンだが、この『レイラ』で、むしろ表情豊かに語っているのは、明らかにオールマンのギターである(アナログA面に当たる曲にはオールマンは参加していないが)。一方過去には攻撃的な面ばかりが目立っていたクラプトンのギターは、ここでは鋭いながらも時に柔和なオールマンのギターと良く絡み合いとても美味しい。「ベルボトム・ブルース」から溢れる男臭さ、「愛とは悲しきもの」でのオールマンとの激しい絡み、お馴染み不倫ソング「レイラ」でのせつなさはどうだ。彼の言葉どおりにギターが語ったのは英国時代ではなく、このアルバムが最初のように思う。

 『レイラ』は、クラプトンがデラニー&ボニーやリオン・ラッセル一派との活動期間を通して得た経験と、英国時代に磨いた技術とがあいまって開花した大変美しいアルバムである。と同時に、再度引用するが、クリーム時代に「ギターが俺の言葉で歌は補足に過ぎない」と発言していたギターの神様が、音楽の出発点は歌にあるという原点を発見し、上手いギタリスト兼シャイなヴォーカリストへと人間宣言した瞬間を捕らえたモニュメントでもある。ゲスト扱いではあるが、自己のキャリアの中で(セッションを除けば)自分以外のギタリストを同じバンドの中に初めて迎え入れた心理面での変化も特筆される。

 クラプトンにとって『自己を研鑚する場であった音楽シーンが、自己を開放する場』へと変わっていったターニング・ポイントに当たるのがこの作品だった。(Oct.98)

(*筆者註)この記述には反論もあるかも知れないが、多くの英国製ブルース・バンドが短期間で崩壊したり分裂していることを踏まえれば納得いただけるかも知れない。


No.2
名前 アブラヤ
電子メール aburaya@cool.email.ne.jp
URL http://www.asahi-net.or.jp/~dv5y-ucd/
いつ聴いたか 1974年
その時の境遇 高校1年生
今でも聞きますか 聴きます。
レヴュー本文

『レイラ』について語る作業っていうのは結構しんどいモノが有ったりするのですが、さて…何から語ろうかしらん?
ま、気張らずに軽い気持ちで書いてみようかと思いますね。(笑)

私がこの『レイラ』を買ったのは高校1年生の冬…そうそう、お年玉を握りしめて自転車にまたがりレコード屋に駆けつけた記憶があるので、きっとお正月だったと思います。そして、その時私が『レイラ』と共に買い求めたアルバムが、あのクリームの『Wheels Of Fire』(邦題:クリームの素晴らしき世界)だったのでしたが、共に2枚組なのでアッという間に財布が空っぽになってしまい、途方に暮れた事まで鮮明に憶えています。(笑)そしてどちらのアルバムも、買ったその日からそれこそ毎日のように聴きまくったのでありますが、共に参加しているギタリストが同一人物なのに全く肌触りが違う音楽であるのが興味深くて、その頃から私の「エリック・クラプトンを慕う旅」が始まったのではないかと思います。

この『レイラ』を聴く度に思うことなのですが、クラプトンが心の底から伸び伸びとプレイする喜びが、充分に此方にも伝わって来るような素晴らしいアルバムだと思います。それまでの彼が「英国ブルース研究会」とでも云うような閉じられた環境で、周囲の熱心なファン達から「神様」の称号で奉られた頃より大した年数も経っていない筈なのですが、此処で聴かれるサウンドは明らかに開放的で、外に向かって放たれているような気がします。何よりも此処では、歌うことに目覚め始めたクラプトンの初々しく、そして凛々しい姿が現在こうして聴きなおしてみても眩しいほど素敵に映るのであります。

1曲目の「I Looked Away」から「Bell Bottom Blues」そして「Keep On Growing」迄の3曲は、デレク&ドミノスの4人のメンバーだけで録音されているのですが、この3曲を聴くだけでも私などは充分に満足感を得られたりするのであります。
が…しかし、何とこれ以降の11曲にはゲストと云うよりも準メンバー扱いで、あのオールマン・ブラザーズ・バンドのデュアン“スカイ・ドッグ”オールマンが全面的に参加して、クラプトンとの絶妙でスリリングなギターをたっぷりと聴かせてくれています。
まさに此のアルバムに於いて、英国と米国を代表するギタリストが南部の地で出会い、そして胸が詰まるような素晴らしいロック・ミュージックの交歓図が展開するのでありますが、伝え聞いた話に依ればクラプトンは、此のレコーディング・セッションにデュアンを繋ぎ止めておく為に涙ぐましいほどの努力をしたそうでなのであります。きっとデュアンの類い希な才能に一目惚れした彼が、デュアンを少しでも自分の手元に置いておきたいという切ない気持ちだったのではないかと思うと、タイトル曲の「レイラ」を歌った対象が当時の不倫相手だったパティ・ボイドではなくてデュアン・オールマンに向けて歌われたのではないかと思えてくるから不思議なのでありますが、御願いだから反論は勘弁して下さいね。(笑)
まさに「レイラ」は、聴いている此方の胸が張り裂けそうになる程の名曲だと思います。

しかし、クラプトンが心酔する程に惚れ込んだデュアンも、ほどなくしてバイク事故で亡くなってしまうのでありますが、あの天才ギタリストであったジミ・ヘンドリックスに続き、彼が尊敬するミュージシャンの死を身近で体験した時の心中はどのようなモノだったかを想像するだけで私の胸も痛むのであります。

そう…エリック・クラプトンの果てしなきブルースを求め続ける旅は、彼が遺した数々の伝説と共に現在も続いているのであります。(Oct.98)


No.3
名前 エーハブ船長
電子メール yutayuta@iris.dti.ne.jp
URL http://www.iris.dti.ne.jp/~yutayuta/index.htm
いつ聴いたか 1986年
その時の境遇 高校1年生
今でも聞きますか 聴くが、平均半年に一度。
レヴュー本文

 正直に言っておくが、私はこのアルバムをあまり聴いていない。初めて聴いたのは16歳の頃だからもう12年も前になる。それから今までに聴いた回数は恐らく20回ぐらいだろう。平均すれば半年に一度聴くか聴かないか、せいぜいその程度である。そう考えるとよく聴いている作品ではないのだが、わざわざレビューを書くべく筆を取ったのにはそれなりの理由がある。一曲だけなのだが、聴いた途端に忘れがたい感動を与えられた曲があるのだ。それが4曲目の収録曲、「Nobody knows when you're down and out」である。

 この曲は彼らのオリジナルでは無く、Jimmy Coxという人の書いた曲だ。だが誰が書いたとしてもこれは名曲だと思うし、ここで聴けるテイクの美しさはまさに名演、神々しさを感じるほどのほどの出来だ。冗談抜きに聴いていると涙が出そうになるのである。特にクラプトンの歌声は泣きながら唄っていたのでは無いかと思うほどの情感に溢れている。

 上述したようにこの曲のインパクトが強すぎたのか他の曲にはあまり思い入れがない。ジミヘンの名曲「Little Wing」も良いとは思うのだが、ものとしてはギル・エヴァンス・オーケストラのカヴァーの方が好きだ。もっとも件の曲「Layla」のギターリフはさすがにインパクトがあった…それでも何回か聴いているうちに飽きてしまったのだが。「I looked away」や「Thorn Tree In The Garden」といったシンプルな曲は今でもあっさりと聞き流せるが、「Have you ever loved a woman」等のどっぷりした曲は、残念ながら私の好みではない。根がポップスの人だからか、この手の曲はじっくり聴くのがキツイのである。

 以前TVのビートルズ関連番組で若き日のパティ・ボイドを見る機会を得たが、クラプトンが真剣に苦しんだ気がよくわかるぐらい可愛い女性だった。結局は本作に込めた思いが届きパティはクラプトンの妻となったが、その後うまく行かなくなり離婚に至ったのは有名な話だ。やはり夢はかなうまでの過程が一番美しいのかもしれない。(Oct,98)


No.4
名前 テリー横田
電子メール terry@lares.dti.ne.jp
URL http://www.lares.dti.ne.jp/~terry/index.html
いつ聴いたか 1982か83年
その時の境遇 大学生。友人宅で彼の所有のものを。
今でも聞きますか はい。実はずっとアルバムを自分では所有しておらず、この間買ったばかり!
レヴュー本文  というわけで、普段歌謡曲とAORとソウルしか聴かない私なので、クラプトンへの思い入れはまったくない。そんな門外漢の耳で聞いても、やはり名盤! 面白い事この上ない! 少々ブルーズとは縁遠い人でも必携の一家に一枚であろう。それは間違いない。ここでのクラプトンは、後の、レイドバックの名のもと、妙にじじむさくなった姿もまったくなく、情熱のあらんかぎりを歌とギターにぶつけている。そのうえデュアン・オールマンとのギターバトルまで聴けるのだ。これ以上要求するのは酷というより「ひねくれ者」というべきだろう。
 ところが、その「ひねくれ者」とは、当の私だったりするのである。

 「幹が太い音楽」などという表現をよくする。特にソウルやブルーズなどの評論にはつきものの表現だ。シンガーなら声の質、ギタリストなら音色やフレージング、リズム全体ならノリのおおらかさ等をさすのだろうが、要は「豪快で力強い印象」のことだと解釈している。
 先に言ったように、このアルバムでのクラプトンは歌にギターに、実に情熱と気合いをこめている。うわずり気味のシャウトと、寸が詰まったような緊張したギターのフレーズには、確かに鬼気迫るものすらある。しかし、私には、その演奏が「幹の太い音楽」には、どうしても聴こえない部分があるのだ。
 力みすぎ、という意味ではない。事実、後の力の抜けた「461オーシャン」などよりこちらの演奏の方が、私は好きなくらいだ。では、何が不満なのか? 私自身にもわからなくて、もどかしいくらいの思いでアルバムを聴き進めていた。
 やがて、デュアン・オールマンがほとんどのリードギターを弾く「Little Wing」が始まった。その時、おぼろげながら、私の不満=不安の正体が見えてきた。
 「土のおおらかさ」が足りないのだ。

 「土のおおらかさ」…抽象的な表現で申し訳ないが、これ以上の言葉が頭に浮かばない。言い換えることは出来ないが、具体的に何をさすのか考えてみると、そこには「歌心」とか「エグさ・押しの強さ・エンタテイメント性」とかいう言葉が、あるいは「余裕」とかいう言葉が、連鎖的にぽろぽろ頭に浮かんできた。
 つまりはデュアンと比べてしまっているのだが、彼の「おおらかで、よく歌って、余裕のある」フレーズの前で、クラプトンの「緊張した、情熱は感じるが余裕はない」フレーズは、ブルーズの「形」は踏襲していても、何か少し「場違いな」印象を感じてしまう。あくまで私見だが、その点が、今一つ、私を下半身のヤバい部分から興奮させてくれないのだ。
 ギター以外でも、彼の作曲する歌メロにも、別の形で「おおらかで余裕のある歌心」の足りなさが出ている気がする。スタイルの違うポップな音楽(例えばポール・マッカートニー)などと比べて、クラプトンの歌メロがどうこう言うのは極論だが、レオン・ラッセルやザ・バンドと比べてはどうか。私の耳には、メロディアスさではレオンの方が、おおらかな官能性ではザ・バンドのほうが、はるかに心と体をゆさぶる音楽として聴こえる。

 おそらく、これは音楽の優劣とは違う次元の問題だろうし、何より私の好みの問題である。クラプトン自身にも罪はないことなのだろう。音楽のスタイル・方向性から、果ては育った環境から血の問題までさかのぼるかもしれない。もしそうならどうしようもない問題だ。
 クラプトンのインタビュー記事などもあまり読んでいないのだが、「本物の黒人ブルーズ、アメリカン・ブルーズには、自分の音楽は到底及ばない」というような趣旨の発言を読んだような記憶がある。その記憶が本当なら、上記で私の指摘したことを、クラプトン自身が十分過ぎるほど認識していたことになる。「ギターの神様」のレッテルの重みと相まって、さぞかし苦闘に満ちた音楽生活であったろう。その後のクラプトンの歩みを、そのアルバムの全てを、私は正直フォローしきれてはいない。
 ただ、そういった「本物志向」にこだわるよりも、「自分の音楽はどうせロックじゃきーええんじゃ!」と、開き直ってバリバリやってくれ方が私は好きだ。その開き直りからこそ、新しいものが見えてくるはずである。事実、「レイラ」にはその光が見えていた。いろいろ不平不満ばかり書いたが、「ロック」的な緊張感とダイナミズムに関しては「レイラ」には大満足しているのだ。私の言った不平は「欲を言えば」「付け足し」の部分なのだろう。
 時代は変わりすぎた。「レイラ2」などは、もう望むべくもない。


No.5
名前 YUKIO
電子メール yukiosaito@virgo.bekkoame.ne.jp
URL http://www.bekkoame.ne.jp/~yukiosaito/
いつ聴いたか 1972年?
その時の境遇 中学2年かな?
今でも聞きますか もちろん、時々聞きます。
レヴュー本文 Old Fashioned Rock Wave より転載

 前作『エリック・クラプトン・ソロ』から数カ月の間に、クラプトンは見事にアメリカ南部スタイルのロックを自分のスタイルとして身につけてしまいました。クラプトンの偉いところは、渋めの音楽でありながらも適度にポップで親しみやすいメロディを持っているところです。ギターはともかく、このソング・ライティングのセンスが、現在までトップ・アーティストの地位を保っている秘訣なのでしょうね。

 クリーム時代のエンジニア、トム・ダウドをプロデューサーとして、デラニー&ボニー&フレンズのボビー・ホイットロック、カール・レイドル、ジム・ゴードンからなるバンドに、オールマンズのデュアン・オールマンが加わった布陣は、リハーサルたっぷりやったのかどうか知りませんが、すごく息のあったいい感じの演奏を聞かせてくれます。後にも先にもクラプトンがこれほど伸び伸びと気持ちよくギターを弾き、歌うことはなかったと思います。

 聞き所は、たくさんありすぎてとても書ききれませんんが、私は出だしの2曲が好きです。軽快な8ビートに乗せて、クラプトンのギターが気持ちよく歌う「アイ・ルックト・アウェイ」、一転してスローな泣きのメロディとハーモニクス奏法が光る「ベルボトム・ブルース」、この2曲聞いただけでもう満足です。もちろんタイトル・ナンバーの「レイラ」は、素晴らしいですが、それすらこのアルバムの14分の1曲に過ぎないのですよね。そんな超ハイクオリティな2枚組アルバムです!

 カール・レイドル、ジム・ゴードンの強力なリズム・セクション、ソング・ライターとしてクラプトンを助けたキーボードのボビー・ホイットロック、クラプトンのギターのポテンシャルを最高に高めてくれたスカイ・ドッグことデュアン・オールマン、この奇跡的ともいえるセッションは二度と聞くことはできませんでした。まさにロック界の一期一会といえます。クラプトンの傑作であり、今世紀ロックを代表するマスターピースお持ちでない方は是非座右の名盤に入れてあげてください!(Nov.1997)



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