American Rock

『ディキシー・チキン』リトル・フィート

クロスレヴューvol.1



No.1
名前 テリー横田
電子メール terry@lares.dti.ne.jp
URL http://www.lares.dti.ne.jp/~terry/index.html
いつ聴いたか 1978年
その時の境遇 高校1年かな?
今でも聞きますか よく聴いています。
レヴュー本文

「なんだこのお下劣な音楽は!」
 冒頭のタイトル曲を初めて聞いた時の印象であるが、その後何年たっても大筋では変わらない。粘るリズム、勝手気ままに跳びはねるピアノ、うねうねとのたうち回るスライドギター、ほかのどんなロックとも、全く違う音世界だったような気がする。高校1年の頃だったか、ブルーズはおろかストーンズもロクに知らないうちに、このアルバムを聞いてしまった私がそこにいた。
 しかし、びっくりはしたが、それで嫌いになってしまったのかというとこれが大違いで、ウキウキするリズムにすっかりとりこになってしまったのである。以来、ことあるごとに愛聴している、私にとってはかけがえのない一枚である。

 ニューオリンズR&Bの要素を取り入れたと言われるタイトル曲から、ファンクや後のフュージョンにつながるようなリズムを持った2曲目「Two Trains」、ローウェル・ジョージ自身のフルートが大活躍する都会的な「Juliette」等、曲調は多彩。しかしどの曲も「お下劣で、泥臭い」独特の雰囲気が感じられ、それがアルバムの統一感をもたらし、バンドのサウンドカラーとしての強烈な個性となって伝わって来る。媚びてもいないし聴き手をつきはなしてもいない、好きなことを好きなだけやった結果、こういった豊饒な音楽が実ったのだろう。

 このアルバムを突破口に、ドクタージョンやミーターズも聴いたが、影響は感じられる部分はあっても質がまるでちがう音楽だった。ブルーズやカントリー等のルーツ音楽とはいっても、リトル・フィートの場合は、完全に自分たちの音楽になりきってしまっているんだということがわかってきたのは、随分後になってからだ。
「お下劣で、泥臭い」雰囲気を残したまま、彼らは新しい音楽の創造に成功したのである。(Dec.25.1998)



No.2
名前 kensaku
電子メール s-khg@rc4.so-net.ne.jp
URL  
いつ聴いたか 1978年ぐらい
その時の境遇 大学生で、それまでとは違うバンドを作ろうとメンバー集めしていた頃
今でも聞きますか アルバムとしてはあまり聴かない
レヴュー本文

 アルバムとしてはあまり聴かない。というのも、1993年にイギリス編集で出たベスト盤を結構気に入ってるんです。

 このバンド、オリジナル・アルバムとしてはかなりのタイトルが出ていて、今も活動しているので、今年も出てました。しかし、不思議なのは中心人物のロゥエル・ジョージがいないにも関わらずどれを聴いてもあまり変化が感じられない気がします。基本的には、特徴あるリズム・セクションに乗っかってギター、キーボードが縦横無尽に、かつ計算されたフレーズで応酬するって感じ。

 ライブ盤『ウェイティング・フォー・コロンブス』が出たあとに、来日したとき見に行ったんですが、思ってたよりもエンターティメントしていたんで、意外だったけどアメリカ音楽の懐の深さがわかりました。
 そのあと、ニコレット・ラーソンが来たときにも、このメンバーの3人がバッキングしていました。キーボードのビル・ペインが、いつもレコーディングに参加しているドゥービー・ブラザーズに一時的に入ったりしたこともあったみたいです。1975年のドゥービーズのブートレグ・ライブにはクレジットされてます。
 たぶん、ドゥービーズは彼が欲しかったと思います。ただ、この人、リトル・フィートのときと、ニコレット・ラーソンやドゥービーズ、ジャクソン・ブラウン、ジェイムス・テイラーらのバックでは何か、違うんです。リズム・セクションのせいかもしれません。でも、味は有るんですが。鈴木茂のファースト・アルバムでもいい味を出しています。

 4曲目の「On Your Way Down」は彼らのオリジナルではなく、アレン・トゥーサンの曲だけどこのアルバム中一番好きです。ほかには「Lafayette Railroad」も好きです。「Two Trains」はニコレット・ラーソンがカバーしてます。

 しかし、こんな個性のあるバンドは少ないです。ワーナーも太っ腹というか、彼らやライ・クーダーたちと長い間契約して、売れ線無視のアルバムを出し続けてました。
 久しぶりに聴いたけど、ホントにいいなあ、このアルバム、このバンド。(Dec.28.1998)



No.3
名前 hideto
電子メール duanne@m9.people.or.jp
URL http://www.people.or.jp/~muses/
いつ聴いたか 1974年
その時の境遇 高校生
今でも聞きますか 聴きたくても暇がないです。新しく買ったアルバムも全部聴けない。
レヴュー本文

 このアルバムを聴くまでニュー・オーリンズの音楽について何も知らなかったので、衝撃を受けました。

 それまで、ちょっと変わったリズムといえば、ボ・ディドリーのドンドコドンのリズムぐらいで、彼等のシンコペーションの感覚が理解できるまでかなりの時間を要しました。彼等のリズムについてよく使われる表現に「しゃっくりをしているような」というのがありますが、それが一番分かりやすい言い方でしょう。とにかく、こっちの予想しないところに音が出てきます。ストレートだと思ってスイングしたらフォーク・ボールだったり、フォー クを待っていたら高速スライダーがきたりで、ヤマがはれません。

 それまで、レオン・ラッセル、デラニー&ボニー等スワンプ系のアーティストを聴いていたので、泥臭い音楽には馴染んでいましたが、リトル・フィートは泥臭いだけでなく、現代的で洗練された側面を持っていたことも新鮮に聞こえました。
 今までのスライド・ギターの常識をくつがえすロウエル・ジョージのフレーズは、どこから生まれたのでしょう。チューニングはライ・クーダーが使っていたオープンA(G)で、ライのフレーズを基本にはしているようですが、インスト曲「Lafayette Railroad」は、まったく斬新なフレーズで、スライド・ギターでこんなことが出来るのかと感心しました。天才ですね。凡人には、あんなフレーズは思いつきません。テクニック的には、それほど難しくはないので、上級者でなくてもコピーしやすいフレーズなんですけど。スライド・ギター=ブルースという概念を覆しました。

 ロウエルのみならずビル・ペインのニューオーリンズ・スタイルのピアノも強烈でした。レオン・ラッセルのようなゴスペル系のピアノとフレーズは似ていましたがリズムの取り方が全然違う。何だか訳分からないまま好きになってしまいました。リチャード・ヘイワードのドラムもしかり。鼓笛隊のような叩き方をするとんでもないドラマーだなと感じました。そして、新メンバー、ポール・バレルとケニー・グラッドニーの存在を忘れてはいけません。彼等の加入によって、ヘンなブルース・ロック・バンドがタイトでファンキーなリズムを持った訳ですから。
 メンバーが皆、それまでのロック・ビートとは違うリズム感を持っています。それがリトル・フィートをリトル・フィートたらしめている要因でしょう。(Dec.29.1998)



No.4
名前 シバタ
電子メール lp0105@mail2.doshisha.ac.jp
URL http://www3.justnet.ne.jp/~ysawa/
いつ聴いたか 1988年
その時の境遇 大学1年
今でも聞きますか 本文で述べているように、このアルバムを楽しめるようになったのはごく最近。
というわけでよく聞いています
レヴュー本文

 リトル・フィート『ディキシー・チキン』。このバンドとアルバムを知ったのは中学2年のとき。友達が持っていた今は亡き(だよね?)『ヤング・ギター』の増刊のギター教則本にそのジャケットが写っていた。確かレス・ポール・ギターでの名演が聞けるアルバムの一つとして掲載されていたように記憶する。その後サザン・オールスターズの桑田佳祐がこのバンドを非常に意識していたのも、このバンドへの興味に多少なりとも拍車をかけたはず(ちなみに僕は熱心なサザンのファンであったことは全然ないが、しかしそのデビュー当時からいわゆるメジャー・シーンで活躍する日本のバンドで多少なりとも共感できる数少ないバンドの一つとして密かに敬意を払ってきた)。
 それから昔FMでよくやっていた、やたらもったいぶったストーリー仕立てのCMで、女の子とのデートの待ち合わせ場所に行く途中でリトル・フィートの輸入盤を買ったためデートに遅れ、それが原因でその女の子と別れたが、その時に買ったアルバムは未だに聞いているというやつがあったのだが、それも妙に印象に残っていた。

 しかし、実際に彼等の音を聞くには少々時を経ねばならなかった。大学に入ってバイトを始め、多少は自分で自由にできるお金が入るようになってからすぐに、前から気になっていたリトル・フィートの『セイリン・シューズ』、『ディキシー・チキン』、『アイメイジング』をレンタルCD屋でダビングして聞いてみたのだ。
 しかし・・・・・・・正直言って彼等の織り成す音は当時の僕にはなじまなかった。あの土臭い音と独特のシンコペーション感、そしてそれと相反するかのような洗練された音作りがアンバランスに思え何か気持ち悪いものさえ感じたのだ。「確かにいいのだろうけれど、自分とは相容れない音楽」として位置づけられたまま、そのときダビングしたテープは知り合いに貸しっぱなしにして、僕はフィートとは無縁の状態で何年かを過ごしていた。

 リトル・フィートに対する新たな興味を喚起したのが『レコード・コレクターズ』1994年4月号の特集「ザ・バンドとウッド・ストック伝説」における小倉エージ氏と元フリッパーズ・ギターの小沢健二氏との対談であった。その対談の中で、今クラブでリトル・フィートで踊っている若者がいるということを僕は知ったのだ。そのとき僕の脳裏に、彼等の作り出すシンコペーションが、それまでとは違った何かを伴って、ごくわずかではあるが、甦ったのだ。それから更に1、2年経って、先輩と入った飲み屋でリトル・フィートのベスト盤がかかって、いつか彼等の音楽を改めて聞いてみようという気になった。しかし結局それを実行するのに更に1、2年を要するのだが。

 なんだかんだとこのアルバムをCDで手に入れたのは、ほんの2、3ヶ月前のことでしかない。アルバム・レビューを読み返してみると、ライターが小倉エージ氏であったのがあまりにひねりがなくて呆れてしまう。それはともかく改めて聞いてみて、最初聞いたときどうしてこの音になじめなかったのかが、色々な角度から分析できて興味深かった。このアルバムを聞き直したとき、僕はその音の感触が思った以上に70年代後期の歌謡曲、それもニュー・ミュージックの影響を受けたものとの接点が多いと感じることに新鮮な驚きを感じた。そしてそれに伴い、1995年10月号の『レコード・コレクターズ』における「リトル・フィート特集」を読み返して、その印象に一つの確証めいたものを得たのだ。それは、かのはっぴいえんどが彼等に少なからず影響を受けたという事実である。周知のとおりはっぴいえんどのメンバーは、その後歌謡界に色々な形で影響を及ぼすことになる。リトル・フィートからの影響が間接的であれ、当時の歌謡曲に反映されても不思議ではないだろう。また、元はっぴいえんどのメンバーに限らず当時のスタジオ・ミュージシャンが彼等に影響を受けたということも充分に考えられることである(そういえば当のリトル・フィートのメンバーの多くがスタジオ・ミュージシャンであったという事実と考え合わせると、余計にそう想像するのが興味深くなる)。

 つまり何を言いたかったかというと、最初このアルバムを聞いたときなじめなかった理由の最たるものの一つが、このアルバムに感じられるある種の「歌謡曲っぽさ」ではないかということである。その頃は今以上に歌謡曲を敵視してたところがあったから、あの妙にきれいな音作りに我慢できなかったのではないだろうか。そしてその後色々な音楽を聞いてきて、再び彼等の音を耳にしてみて、素直な気持ちで「良い」と思うことができる。彼等から遠ざかっている間に、かのフランク・ザッパによって変拍子やシンコペーションに慣らされたのも大きい。ザッパとフィートとの関係については、今更言及するまでもないだろう。

 今僕が音楽を聞く上で重要なキー・ポイントになるのが「グルーブ感」である。別にグルーブ感の無い音楽がすべからく駄目というわけでは決してないが、色々な音楽にグルーブ感を見出すことが音楽を聞いていくうえでの僕の楽しみになっていることは確かだ。その意味で、このリトル・フィートというバンドに、新たなグルーブ感を見出せたことは意味のあることだと思う。
 それからおまけのエピソードだが、これも長らく聞いてなかったフリーのラスト・アルバム『ハート・ブレイカー』を聞き直してみて、妙にリトル・フィートに似ているという印象を受けたことも付け加えておこう。(Jan.3.1999)



No.5
名前 野田泰久
電子メール nodaya@asakonet.co.jp
URL  
いつ聴いたか わすれました 多分出てスグやないかと思います
その時の境遇 幸せな学生
今でも聞きますか ききますききます
レヴュー本文

 そー・・・あれは74年の暮れやったか75年のはじめやったか・・・
なんせ場所はロンドンの北西にある当時はバリ有名なライブ会場<レイン某シアター>(やったと思うけど、最近は老人力のおかげでちょとアヤシイヨ)
ワーナー・バーバンクサウンドのパッケージツアーがヨーロッパツアーにでたときで、その日の組み合わせは、(1)ボナルー〜知ってまっか、後年ビージーズのライブでバックとってたけど〜。(2)フィートそいでもって、(3)ドゥーヴィーとまた場末の3本立てもビックリクリクリクリックリ・・・。

 この日のステージが後の世にフィートとはどんなもんか、ドゥーヴィーがナンボのもんじゃいワレェー・・・とファンを凶器乱舞(刃物をもって踊る)させてしまった曰く付き、根抵当付きの問題物件でありました。 当時私は、ブリット熱にさいなまれてかの地にわたってすぐの時で、今日はマーキー明日はラウンドハウスと、やれDr.FEELGOODだのFAMILYだのとやっぱイギリスやでー・・・と青春を謳歌ししていた矢先茂る・・・のことであったのですが、この日よりやっぱロックはアメリカやでー、なぁニイチャン!!!と宗旨替えをしてカトリックから・・・どこまでいくねん、本題をはよ書かんかい!

 すんません・・・・で、その日はなんっせフィートのいまから思えば一番アブラがのりきってた頃で、もうただただ脱帽につぐ脱帽でどつぼに・・・チョットムヅカシイネ・・・でもってかわいそうなのはドゥーヴィー京大ですわ。やっとられるかーボケ! とパット・シモンズさんや日本のシモンズさんたちも<恋人もいなーいのにー〜>とやけでうたっておられました。あのドローンとしたそんでもって(^O^)としたサウンド・・・よろしなー、日本でも後年ライブみましたけどやっぱりちゃいました。1枚目、2枚目そんでこの3枚目とあの2枚組みライヴ〜土人のサムがほえとるのがまたよろしィ・・・あとはどうもね。

 因みにローゥエルのソロも私はスキです。と相変わらずのおっさんのたわごとでございました。すんません、しっつれいしましたー。(Jan.15.1999)



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