American Rock

『ディキシー・チキン』リトル・フィート

クロスレヴューvol.2



No.6
名前 ろびー
電子メール isg0@peach.ocn.ne.jp
URL  
いつ聴いたか 1978年
その時の境遇 高校3年で、受験勉強もろくにせず夕方からの踊る大捜査線の再放送にうつつを抜かしていました。
今でも聞きますか 聞きます。
レヴュー本文

 リトルフィートの名前はこのアルバムを聞く前から知っていました。ベスト盤を手に入れ聞いていたのですが、好きな曲はあるものの、全体を通してのストレンジな響きになじめずにいました。それ以前から聞いていたザ・バンドに感じたような温かさを、その当時は感じることができなかったのです。
 しかし、ある日突然(トワエモアじゃありません)聞かなければいけないと思い始め、アルバムを揃えはじめました。きっかけなんてなんだっていいんですね。

 僕が改めてリトルフィートに思うことは、外に向かうエネルギーの強さです。影響を受けた音楽はザ・バンドと変わらないとおもうのですが、肌触りは全くの別物です。
 ザ・バンドが温もりならばフィートは冷だといえます。それはフィートがアメリカ人だからだと言えます。ザ・バンドは外からアメリカを見、その憧れを音に託しました。もちろん外から見ればこそ、批評的な視点もできるわけですが、基本的な姿勢は憧れであったはずです。
 しかしフィートはアメリカ人であるが故に隠し切れないルーツが自然に出てきてしまい、それに対し必死に戦いを挑んだバンドだったのだと思います。そしてそれが冷、言い換えればユーモアだったのです。
ザ・バンドにユーモアがないなどというつもりは毛頭ありません。しかし明らかに異質なものなのです。そしてその差異こそが、はじめにフィートを聞いた時に感じた違和感だったのです。

 このアルバムはその異質な才能が顕著に表れたアルバムだと思います。音は極めてシンプル、しかし全体を通しての響きはストレンジ。誰もが目指すことをフィートはこの時点で達成していたのです。(Mar.3.1999)



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