British Rock

『ジギー・スターダスト』デビッド・ボウイ

クロスレヴューvol.1



No.1
名前 ELWOOD/JK
電子メール fwhw1821@mb.infoweb.or.jp
URL  
いつ聴いたか 1986年
その時の境遇 その頃、私は高校を何とか卒業したばかり。私の実妹が当時、グラムロックに傾倒していて、その影響下で聴いてしまった。
今でも聞きますか 滅多に聴かない。
レヴュー本文

後のベルリン三部作時代も彼を語る上ではなくてはならないものなんだろうが、やはりその前に「ジギー・スター・ダスト」を語っておかないと、ボウイ史は語れない(語るつもりもないが)。

英米両国でデビッド・ボウイの名が一般的に認知されたアルバムであるし、華やかなグラム・ロックの名において喜びと悲しみを同時に受け入れてしまったアルバムでもあるはずだ。 心拍音に極めて近い「ファイブ・イヤーズ」から感動的な「ロックン・ロール・スーサイド」に至るまでの、コンセプトの中に潜むキューブリックの映画的な構図の良さと、キレまくっているボウイ氏を前にして少人数にして可能な限り暴れまくっているバックの演奏が小気味良さを生んでいるのが嬉しい。 このアルバムのメイン・キャラが大衆に受けすぎたのが、デビッド・ボウイを精神的に追いつめる結果になったのだと思う。 この後から「ピンナップス」「アラジン・セイン」「ダイアモンド・ドッグス」と続くが、これらのアルバムに見えてしまうのが、ネタ切れに近いグラムロックの奴隷と化したジギーの亡霊であり、74年のライブ以降このキャラを封印させてしまったのは大正解だと思う。

このアルバムで巨額の富と名声を稼いだとしても、私の知るボウイ史では悲しみのモニュメント的存在がこの「ジギー・スター・ダスト」だと勝手に思ってしまう。



No.2
名前 シバタ
電子メール aag02030@pop06.odn.ne.jp
URL http://www3.justnet.ne.jp/~ysawa/
いつ聴いたか 1984年
その時の境遇 不毛な高校1年
今でも聞きますか ずっと聞いていなかった。これからも忘れた頃にふと思い出して聞くだろう
レヴュー本文

 僕が高校入学と相前後して『ロッキン・オン』を購読しだした頃(おそらく現実的にはもっと以前からなのだろうけれど)、おそらく高校を卒業してしばらくくらいまで、『ロッキン・オン』的脈略(?)の中で、プリンス、ローリング・ストーンズ、そしてこのデヴィッド・ボウイーをどう評価するかが、ロック・ファンとしての性格を位置づける一つのリトマス試験紙のような役割を果たしていたように思う。 その次点にくるのがスミスとU2くらいかな。 その前の年には、例の『戦争のメリー・クリスマス』出演で彼のそれまでの経歴を殆ど無視したようなミーハー人気もあったが、それもようやくほとぼりが冷めはじめた頃ということもあって、改めて「果たしてデヴィッド・ボウイーのメタモフォーセスは一体何だったのか?」というようなことが改めて語られるようになったように思う。 そんな頃に僕は高校のクラス・メイトにこの『ジギー・スターダスト』をダビングしてもらったのだ。 余談だがそのクラス・メイトはかなりうざい系の奴でまもなくこちらから手を切ったが(当時の僕は人間関係に 対して、今の10倍くらいペシミスティックで、冷笑的で、冷酷であった)、高1という多感な(苦笑い)時期にこのアルバムを聞く機会を与えてくれたことについては、素直に感謝している。

 最初このアルバムを聞いたときの印象はあまり覚えていない。 というかどういうプロセスを通ってこのアルバムに引き込まれていったのか、不思議なことに全く思い出せない。 ただこのアルバムのフルタイトルの日本語訳『屈折する星屑の上昇と下降と火星からきた蜘蛛』という摩訶不思議な言葉が妙に印象に残ったことだけは覚えている。

 それにしても改めてこのアルバムを聞き直してみて今更ながらに奇妙なアルバムだと思う。 この奇妙さをどう言えばいいのだろうか。 このエキセントリックとも言えるタイトルに対して、サウンドそのものはおおよそエキセントリックという形容からは遠い。 聞きようによってはオーソドックスなロックとも言える。 でもどこか奇妙なのだ。 オーソドックスなロックといえば、当時のグラム・ロックと呼ばれた潮流には、オーソドックスなロックへの原点回帰的要素が少なからずあった。 しかし、言うまでもなくそれが単なる原点回帰に終らなかったところがグラム・ロックのグラム・ロックたる所以であろう。 勿論このアルバムがグラム・ロック云々という枠組みから飛び抜けたところでも充分に語られうる価値を有していることも確かではある。 話は堂々巡りになるが、その価値とは何か?ということを言い当てることは極めて困難だ。 コンセプトの斬新さ?確かにそういう部分もあるだろう。 各々の楽曲のレベルの高さ?確かにいわゆる捨て曲が全く無い。 この時期に行われていたツアーのインパクト?確かに映画『ジギー・スターダスト・ライブ』は、撮影技術云々というレベルではなく、あの時代のボウイーが見れるという一点でとてつもない光を放つものであり、そこで目にすることができるボウイーのパフォーマンスは他の追随を許さない圧倒的なものであった。 しかし、あくまでレコードはレコード、ライブはライブで各々独立したメディアである。 この問いに対するあくまで僕個人なそして暫定的な答え。 それはアルバムの冒頭を飾る「ファイブ・イアーズ」の何ともいえない切なさ、この切なさから発展させラスト・ナンバー「ロックン・ロールの自殺者」においては次のレベルへの切なさで締めくってみせるという、螺旋状の円環運動にも似た神話を実践したことにあるのではないか、ということである。 この円環運動をボウイーは今日まで延々と実践し続けていると結論づけることができたら格好良いのだけれど(笑)。

 それはともかくとして最後に僕は未だに「ファイブ・イアーズ」のイントロからを耳にし、ピアノの鍵盤を「バーン」と叩く音とともにボウイーの声が聞こえてくると全身に鳥肌が立ち、時として涙腺を刺激されるということをぜひとも書き留めておきたい。



No.3
名前 真由美
電子メール mayumi@ki.nu
URL http://www.ki.nu/~mayumi/
いつ聴いたか 1972年
その時の境遇 高校生
今でも聞きますか 20年ぶりに聴いた。以後、一月に一度は聴く
レヴュー本文

 1970年にデビッド・ボウイがT.REX のマーク・ボランとともにグラムロックとして紹介される以前から、わたしたちはこのアーティストを知っていた。日本に初来日したときは、父に頼んで切符を取りに行ってもらったりもした。 帰ってきた父がボウイとは何者だと尋ねたことを覚えている。 青山のウドウ音楽事務所のあたりには、それっぽい人ばかり並んでいて、新聞社に勤める父はきっと業界のひとに写ったのだろう。 渋谷公会堂では、緊張でぴりぴりした神経質そうな一人の青年がいた。 観客を楽しませようとして、痛々しいくらいに努力して、理解されていないと、わたしたちは話し合った。 長旅で疲れてもいたのだろうと思う。 マスコミから伝わってくる派手さはなかった。 生っ粋のイギリス人。 後に、ロンドンに渡ることになって、あの国がミュージシャンを生み出すのだと納得した。

 ボウイくらいその印象が時代とともに変わっている人も珍しい。 暮らした女性に影響されているのだとしたら、ピカソなみとでもいおうか。

 69年のスペース・オディセイ以来の何年間は宇宙に関する曲ばかり書いていたような記憶がある。 このZiggy Strdust はストーリー性が全面に出されていて、まるで一連のミュージカルをみているような気分にさせられるのだ。 舞台の一番前にすわって、次々と出てくる役者を眺めているような、楽しさがある。 決して大勢で楽しむアーティストではなく、ひとり部屋に隠って、楽しさを一人占めしたいようなそんな役者。

 このLPはなんども繰り返し聴いたはずなのに、20年以上たってからまた、改めて聴いてみると、懐かしい曲と見知らぬ曲がまざっているのに驚く。 当時、好きな曲だけ選んで聴くことはできなかったのに、記憶が選択して残っているのだ。 なんどか聴くうちに、昔のことをいくつか思い出した。 その頃つきあっていた子や、読んでいた本など。 そんなに遠い昔のような気がしない。 きっとラブレターの続きもかけるだろう。 いま、ラスベガスのスターダスト・ホテルに泊まっています。 D.ボウイの曲が頭の中で回って、あなたのことを思い出しています・・・。



No.4

名前 KAIGON
電子メール kai.gon@f8.dion.ne.jp
URL  
いつ聴いたか 1976年
その時の境遇 中学2年生・・・まだ本格的にROCKへのめざめはみえず。
今でも聞きますか ほとんど聞いていません。
レヴュー本文 このアルバムを購入したきっかけは、前年(1975)に友達からモット・ザ・フープルの「ロックン・ロール黄金時代」のシングル盤を買って、はまり1972年の「すべての若き野郎ども」の作者であるボウイが気になり手を出してしまいました。今考えるとこの時期のボウイが私の好みの最高時期であったのではないかと思います。メンバー(スパイダース・フロム・マース)も最高(ロンソンをイアン・ハンタ−に連れて行かれたのは痛い)であったし、視覚面での当時の他のグラムになりかけたミュージシャンへの影響ははかりしれないものがあったのではないかと思います。しかし、ロンソンとこのままいっしょで続けていたらその後のボウイの変革は見えなかったのではないかと考えます。ロンソンはハンターとの組み合わせでハンター自身がソロになってからも成功つづけていけたキイ・マンであると思います。ちょっとずれてしま いましたが、ボウイにもどると声質もこの時期が一番であったと思います。後のしわがれた声は余り好みではありません。やはりベスト10にはいるだけあってこの時期が最高と言う結論です。

(17.Jan,2001)



No.5

名前 オビワン
電子メール obiwan@tba.t-com.ne.jp
URL http://www2.tba.t-com.ne.jp/tmoq/
いつ聴いたか 1972年
その時の境遇 中学2年生、シングルよりもアルバムが気になりだした年頃
今でも聞きますか もちろんですとも!
レヴュー本文

このアルバムというより「スターマン」を聴いて身体中に電気が走 りぬけた。シングルを買って一日中聴いた。その翌日にアルバム を買ってやはり一日中聴いた。 タイトルがかっこよかった。「屈折する星屑の上昇と下降、そして 火星から来た蜘蛛の群れ」 当時としては盲目的に聴きまくったレコードであります。今聴き返 すと計算しつくしたようなアンサンブル、エコーのかかり具合、 アコースティックギターの使い方など、「う〜ん!」とうなって しまうほど隙のない作りをしていて、そんなあなたが80年代は なにしてたの?と問いただしてみたくなります。 Tレックスと人気を二分してたとは言え、我が中学では皆Tレック ス派で、中学生一人でコンサートも行ってきました。前から10 列目、ミック・ロンソンの真正面でありました。それ以来ロンソ ン・ファンにもなったわけですが、ロンソン的には「世界を売っ た男」のほうがギター・プレイもスリリングで聴きごたえがある のですが、やはり全体的にみると「ジギー」のほうが上でしょう 。


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