『(IV〜フォー・シンボルズ)』レッド・ツェッペリン
クロスレヴューvol.1
No.1 | |
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名前 |
千冬 |
電子メール |
chifuyu@ps.ksky.ne.jp |
URL |
http://www.ksky.ne.jp/~chifuyu/ |
いつ聴いたか |
1977年頃 |
その時の境遇 |
高校生 |
今でも聞きますか |
たまに聴く |
レヴュー本文 |
「朽ち果てた壁に掛かる薪を背負った老人の絵...廃墟の向こうには高層ビル」。このアルバム・ジャケットには、バンド名はおろかレコード番号もレコード会社名さえも記述されていない。それだけこのジャケットに「何か」を語らせたかったのであろう。その意味する処は...
このアルバムで一つのポイントになるのは「天国への階段」であろう。レコードの内袋にまるで聖書の言葉の如く綴られている歌詞。これもアルバム・ジャケット同様にZEPPELINの強い思いが込められているからであろう。そしてここで歌われる「Tune」とは... ZEPPELINはこのアルバムで、BLUESから発生したROCKを消化しBLUES色を消し去ったROCKを構築したと思う。そしてそのROCKの中に、自分たちの伝統的な「Tune」(民族音楽)を発見したのではないだろうか?結果的には自分たちの原点である伝統の音から逃れられなかった事を確信したのではないだろうか?また、それが感じられて嬉しかったのではないだろうか? 「朽ち果てた壁に掛かる薪を背負った老人の絵」はイギリスの伝統な音(民族音楽)を現しているのではないだろうか。そして「廃墟の向こうの高層ビル」はROCKと言う新しい音楽を現しているのではないだろうか? 民族音楽が廃れて行く中、新しい音楽が次々と現れていく。しかし、血の中に染み込んだ音は消し去る事は出来なかった。あのジャケットはそんな事を語っているのではないだろうか... そう考えれば次のアルバムの「HOUSES OF THE HOLY」の幅広い音楽性もうなずけると思う。伝統の音を消し去り本当の「LED ZEPPELINの音」の探求があのアルバムから始まったであろう。そうして得た音がアルバム「PRESENCE」ではないだろうか? (oct.98) |
No.2 | |
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名前 |
真由美 |
電子メール |
mayumi@ki.nu |
URL |
http://www.ki.nu/~mayumi/ |
いつ聴いたか |
初めて聴いたのは1971年 |
その時の境遇 |
高校生のときだった。 |
今でも聞きますか |
いまでも週に一回は聴いています。 |
レヴュー本文 |
その前の年、1970年に、移民の歌ではじまるZEP
III で衝撃を受けていたから、新しくでるアルバムについては、世間でも、関心が高かった。
深夜のラジオ番組ではジャケットのデザインということすら、話題になっていた。このたきぎを背負った老人は何を意味するのか、廃虚は何を意味するのか、なぜあえてuntitledしたのか、ZEPが解散するのではないかと、いうさまざまな憶測が飛んでいた。 でも、そんなことはわたしたちにとって、どうでもいいことだった。ジミ−ペイジの12弦ギターとか、断片的に入ってくる情報よりも、早く中身の音楽が聴きたかった。手元の資料によれば、71年11月のリリースとなっている。たぶんわたしは、リアルタイムで、発売と同時に聴いているから、記憶の中では、荒涼とした冬景色とこのアルバムが組み合わさっている。夢中になって、聴いたし、なんども繰り返して聴いたと思う。ZEPの音楽的方向が変わってしまったという批判もあったが、ZEP III と IV は特にお気に入りのアルバムだった。 それから、20年以上たって、このアルバムのことは、天国の階段という美しい曲があったというくらいしか、覚えていなかったのにRolling Stone magazine のサイトで 試聴盤の black dog を聴いたときの衝撃、血が沸き立つような思いが全身に伝わった。 それから、レコード屋に駆けつけて、何回か通って、ZEPの全アルバムをCDで再度購入するまでには、そんなに時間はいらなかった。 70年代に聴いた音楽が、今も楽しめることを発見した最初のアルバムだった。曲の構成が緻密で大胆で、なんと聴いても飽きることがない、不思議なアルバムである。 (oct.98) |
No.3 | |
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名前 |
エーハブ船長 |
電子メール |
yutayuta@iris.dti.ne.jp |
URL |
http://www.iris.dti.ne.jp/~yutayuta/index.htm |
いつ聴いたか |
1987年 |
その時の境遇 |
高校2年生 |
今でも聞きますか |
時々 |
レヴュー本文 |
Zepに目覚めたのは高校2年の冬だ。好きな時はひたすら毎日のように聴きまくっていたし、今でも時折無性に聴きたくなるバンドだ。しかし現在好んで聴くのは『フィジカル・グラフィティ』か『プレゼンス』のどちらかで、初期のアルバムを聴きかえすことは少ない。それでも本作は昔何度も聴いた作品だから、懐かしい話も交えてレビューを書かせて頂きたい。
本作は通称『W』もしくは『Four symbols』等と言われている、タイトル表記の無い作品だ。理由として良く言われるのは「Zepの名を使わなくても売れる事を証明したかったため」という話だが、真偽のほどは明らかで無い。 収録曲についてとやかく言う必要はなかろうと思う。どれを聴いてもよく出来ているし、アルバム一枚を通して退屈を感じることはまず無い。誰でも知ってる「Stairway to heaven」は間違いなく名曲だし、「Four sticks」や「Misty mountain hop」で聴ける暗黒のようなヘヴィネスも好きだ。特にジョン・ボーナムの太鼓の重量感は凄まじく、単なるウワサかもしれないが「『When the levee breaks』のドラムはマイク2本だけで録音した」なんていう話にはさすがに驚かされた。 3曲目の「The battle of evermore」も深みがあっていい。サンディ・デニーの声やアコースティックギターを駆使した夢幻的な演奏はまさにイギリス的な叙情を感じさせる仕上がりである。B面3曲目の「Going to California」も美しく好きな曲だ。 収録曲で一番好きなのはラストの「When the levee breaks」である。この曲を聴いていると高校時代に通学で利用していた南越谷駅の風景が思い出されてしまう。かつて冬の寒い時期に、プラットフォームで北風に震えながら頻繁に聴いた曲なのだ。ギターやドラムの一音一音に感動しながら暗い空を見上げ、「…Zepには、冬がよく似合う」 - ふとそんな風に思ったのをよく覚えている。(Oct.98) |
No.4 | |
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名前 |
鰤 |
電子メール |
xenon-cd@02.246.ne.jp |
URL |
http://www.02.246.ne.jp/~xenon-cd/ |
いつ聴いたか |
1974年かな? |
その時の境遇 |
高校生 |
今でも聞きますか |
聴きたいと思った時になかなか手が伸びなくなっちゃいましたね。 |
レヴュー本文 |
二年間で4枚のアルバム。すさまじい制作ペースだ。ジミー・ペイジは、アルバムの重要性というものをビートルズとプログレ勢と並び、かなり初期の段階で気付いていたアーティストだった。英国ではシングル・カットを拒み続けたという。その代わりにシングルのようなペースで出された初期の4枚のアルバム。そこに詰めこまれた豊富なアイディア。誰の耳にも世間一般で言われている只のハードロック・バンドとは違うのは明らかだ。流行りのブルース・ロックをベースにした『I』、それを発展させ独自のハードロックを確立した『II』。この時点でZEPのスタイルは一度確立したと思う。十分な支持も得た。ところがペイジは『II』の延長を選択しなかった。これが凄いところだ。
この『IV』(便宜上『IV』と呼びます)の鍵を握っているのは、直前の『III』だ。ペイジはトラッドにも強く興味を示しペンタングルのコンサートにもよく足を運びバート・ヤンシュのギター奏法も研究していたという。そのような貪欲な姿勢はヤードバーズ参加前のスタジオ・レコーディング・ミュージシャン時代に多数のバンドと音楽に接して養われたのだろう。 アクースティック・ギターを大胆に導入した『III』の評価は当時余り芳しいものではなかったようだが、恐らくペイジはすでにその時点で『IV』にいたる青写真を念頭に置いていたのだと思う。『III』の発表なしに『IV』が出ていたら、ただのハードロック・バンドという評価に落ち着いていたかもしれない。その時点のZEPのエッセンスがすべて計算された上で『IV』が発表されたのだ。悪いはずはない。 このアルバムで私が特筆したいのはその曲順だ。冒頭の2曲にハードでドライヴする曲を並べ一気に盛り上げクールダウンした後、最初のクライマックスである「天国への階段」へと導く。アナログ盤なら、ここで盤をひっくり返す儀式があるのだが、実はこの儀式の時間が重要だと思う。聴いた者は、静と動が巧みに交差した「天国への階段」の余韻を引きずりながら、盤をひっくり返す儀式へと向かう。この曲の効果はその時点まで持続しているのである。そしてリスタートするB面のトリッキーな「ミスティー・マウンテン・ホップ」。実に良く計算された曲順だ。だから私はこの儀式を省略してしまうCDが嫌いだ。もし今の時代にこの『IV』が制作されていたら、曲順はどうなっていただろう?そんなおたく的な想像を掻き立てられる構成である。したがって、このアルバムをCDで聴く方はCDプレイヤーのプログラム機能でアナログA面部とB面部をぶった切って「天国への階段」の余韻の時間も十分にとっていただきたいものである。(笑) この『IV』のあと、次のアルバム発表までに過去にない長いインターバルが置かれたというのは、確実に進歩してきたバンドを再出発するために必要な時間としては当然必要だったのだろう。ツェッペリンにとって『I』〜『IV』までの二年間は奇蹟の時間だったと思う。他のアーティストからのパクリの常習には目を瞑ります。(oct.98) |
No.5 | |
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名前 | あきこ |
電子メール | kimura@ha.bekkoame.ne.jp |
URL | http://www.bekkoame.ne.jp/ha/kimura/ |
いつ聴いたか | 十数年前、CDで |
その時の境遇 | バブリーなイケイケギャル |
今でも聞きますか | わりと久しぶりに聴いた |
レヴュー本文 |
「ZEPはどうも苦手だ。」 と言うのは決して音うんぬん、ということではなく・・・。むしろバンドとしては最も好きな部類に入るのだけど、何が苦手って、彼らについていろいろ語ることがなのです。ジャケットなどから見てもわかるようにアーティスティックで知性を感じる部分があるし、昔からマニアが多いというイメージがついてまわって、平凡なリスナーは触るべからずだから・・・。 私がZEPの存在をはっきりと意識したのが、実質上のラスト・アルバムになる「イン・スルー・ジ・アウトドア」が出る少し前。その頃雑誌に掲載されていた写真はというと、プラントが太鼓腹を抱えてサッカー試合に参加している姿。それは記憶にうっすら残る「永遠の詩」のポスターの艶姿とはもはや重ねようがなかった。おまけにすぐボンゾが逝ってしまって、あっという間もなく、消え去ったバンドでもあり、時間を共存しながら追っかけしないとエネルギーが発散できない多感な時期に、ZEPに執着しろ、というほうが酷だった。でも今考えたら、過剰に私的な思い入れもなしに、醒めた目で純粋に音だけを追うことができたの は、かえって良かったのかもしれません。映画「狂熱のライヴ」でも来てお目にかかれた日には、かなり見方も変わっていたでしょうが。 当時から代表作というとだいたい『II』、『IV』と相場は決まっていて、そのうちの何曲かはFMなどでよくかかっていたし、ファーストを薦められて聴いていたせいもあって、『IV』は結局後回しになってしまった。この盤の中でのZEPは、ハード・ロックに位置づけされたことによる表現の限界を超えた、とか、泥臭さをろ過していったブラック・ミュージックの解釈法、などいろんな風に定義づけができると思います。でも、発売当時の衝撃度とか話題性というのは、いくら活字で読み書きしても私には体感することはできません。だからむしろ、そんな立場から何か言えることがあるとしたら、初めて耳にした時の感覚的な反応を言葉にするしかないのです。 では、いったいどこが好きなのか?と尋ねられたら、総ての曲がそうというわけではないけれど、最初の音が流れ出した瞬間から、何がつまっているのか予想できない意外性があるとでもいうのだろうか、彼らの積み上げる、「カクッ」とはずされるような、変化が多く突飛なフレーズやリズムは、各パートで分離しているようでいて、実はそこには巧みなからくりが潜んでいて、不思議にも全体通してみるとものの見事につじつまが合っているという・・・。このジグゾーパズルのような組み合わせの妙こそがZEPたる所以、追随を許さないものだと思うのです。そう持っていくと、『IV』で最も傾向が顕著なのは「ブラック・ドッグ」あたり。例えばこの曲で途中、あれ、リズムがはずれてるんじゃ、と疑わせるところも妙の一つ。ペイジさんの仕業か?などとかんぐってしまう。 また、その構想を現実化してしまう各メンバーの出す強烈な音の個性は、特にZEPに関しては4人のうち1人の代替もあり得ない。ただ、ここで言う個性とは決して自己主張し合うという意味ではなく、あくまで調和の上に立ったものです。だから、ギタリストが単に技術的な面だけに走ってしまうという、よくありがちな行為に及んでいたら、バンドとしてはまったく異質なものに なったか、存続しなかったのではないでしょうか(別に弁護しているワケではないのデス)。 70年代初期という時代背景における『IV』の存在意義からしても、ストーリーテラーのような歌詞と戯曲さながらのスケールの大きさからしても、名盤には違いありません。しかし、それが個人の好みとは必ずしも一致しないのがツライところだ。 (nov.98) |