British Rock

『リボルバー』ビートルズ

クロスレヴューvol.1



No.1
名前
電子メール xenon-cd@02.246.ne.jp
URL http://www.02.246.ne.jp/~xenon-cd/
いつ聴いたか 1974,5年頃?
その時の境遇 高校1年生か2年生だったんじゃないかなあ。私は意識的なビートルズ初体験は遅かったんです。
今でも聞きますか 年に2、3回は聴きたくなりますねぇ。『アビーロード』のB面と並んで最も好きです。
レヴュー本文 私の世代の多くは海外のポピュラー・ミュージックへのとっかかりはビートルズである。恐らく中学校の音楽の教科書に「イエスタデイ」が載った最初の世代であるからだろう。しかし私の場合、意識的にビートルズと関わりを持ったのはグラムやプログレを経験した後だった。ビートルズは既に解散していたし、プログレやグラムの方が遥かに同時代的な魅力を発散していた。しかし意識外のところで、ビートルズの音楽というのは常に耳に入ってきており、ビートルズのアルバムで確か初めて買ったこの『リボルバー』の多くの曲も、すでにどこかで聴いたことがあるというものばかりで、多少気がそがれたと同時に「どうして知っているんだろう」と不思議に思ったものだ。

初めて自分で懐を痛めて聴いた『リボルバー』はそれだけで思い出深いアルバムであるが、ビートルズの作品を振り返ると『アビイロード』と並び最も好きな一枚でもある。個人的なおたく話をすると、このアルバムは過去に4回買いなおしをした。「少しでも綺麗で状態の良い日本盤でのオリジナル東芝オデオンの赤盤を持っていたい」私にそんな欲求を起こさせたアルバムでもある。かつては英国パーロフォンのオリジナル・モノラル盤も持っていた。私にとってビートルズのアルバム中もっともカネの掛かった盤である。何がそんなに魅力的なのか?私にも正直に言うと良くわからない。

冒頭のフリーキーな「タックス・マン」ロマンティック・ビートルズの代表曲のひとつ「エリナー・リグビィ」や「ヒア、ゼア・アンド・エヴリウェア」、余りに有名なノベルティー・ソング「イエロー・サブマリン」、ドラッグを介したサイケ体験やインド音楽への露骨な憧憬などアルバムを通しての整合感はないにも関わらず、ビートルズというバンドの作品の枠をはみ出していないのが、このアルバムの凄いところだ。この路線は前作『ラバー・ソウル』からの延長ではあるが、ここに至りビートルズは完全にシングル・ヒットを連発するだけの集団から抜け出しオリジナル・アルバムの重要性をポピュラー音楽界に提言した。もちろん続く『サージェント・ペパー』はこの路線の最終完成形を成すわけだが、シングル盤のヒットだけが重要視されてきたそれまでの歴史をブッた切った時期のアルバムとして重要である。ビートルズと同時期に登場し活躍してきたいわゆるブリティッシュ・ビート・グループの多くがこの時期に解散したり分裂したり、過去へと追いやられていったのは、この新しい波に全く乗れなかったからである。ビートルズは登場した時期とこの時期の二回音楽の歴史を塗り替えたと思う。

余談:例の『アンソロジー』プロジェクトの三枚の作品の内、私が最も楽しんだのは、この時期を含む『アンソロジー2』であります。(Dec.98)



No.2
名前 シバタ
電子メール lp0105@mail2.doshisha.ac.jp
URL http://www3.justnet.ne.jp/~ysawa/
いつ聴いたか とりあえず耳にしたのは1982年。ちゃんと聞いたのは1991年。
その時の境遇 前者で中学2年、後者で大学4年
今でも聞きますか このレビューを書くに当たって聞き直そうと思ったがどうも友人に貸しっぱなしにしているようで、聞こうにも聞けない。
レヴュー本文 いきなり引用から入る。元RCサクセションのギタリスト仲井戸“チャボ”麗市氏のエッセイ集『だんだんわかった』からのもの。

「真白な答案用紙は、真赤な赤点を約束して中間試験が終わった日、Iさんにリヴォルバーを借りた。土曜も日曜日も一歩も外に出なかった。街中の奴等をそれでうち殺してやりたかった。」

殆ど永山則夫と化している当時の仲井戸氏であるが、でも60年代にビートルズや他のロックバンドにまさに「殺られ」た人達にとってこのような感情を抱くのは、そんなに特別なことではなかったのではないかという気がする。いや別に60年代と10代が重ならなかった僕のような人間でさえもがビートルズやストーンズのレコードを手に入れて小脇に抱えた時、まさにそれが周りの間抜けな連中を撃ち殺すための有効な何かであるという感情を多少なりとも抱いていたはずだ。
こんな出だしから始めておいて何だが、実は僕がこのアルバムをちゃんと聞いたのはかなり遅かった。大方の洋楽ファンがそうであるようにビートルズからロックを中心とする洋楽に興味を抱いた僕だが、ストーンズやツェッペリンを始めとする他のロック・バンドへの興味が頭を持ち上げるようになったため、ビートルズのアルバム集めは数枚で打ち切り状態になっていた。そういうわけでこのアルバムを手に入れてじっくりと聞くのには、大学4年23歳になる年まで待たねばならない。

ところでビートルズを聞きはじめた頃、僕は初期から中期、後期にかけてのビートルズのメンバー特にジョンのルックスの変化がなんとなし納得できなかった。初期のおぼっちゃん的とも言える端正な出で立ちから『サージェント・ペパー』のジャケットに写るその卑下面のおっさんへの移行は僕とって謎だったのである。『サージェント・ペパー』の前段階であるこの『リヴォルバー』のジャケットはイラストであるのが妙に象徴的に思えた。ビートルズとしては初めてイラストをあしらったジャケットのこのアルバムを言わば隠れみのにして、彼等は音楽面だけでなく、ルックスの面でもそれまでとは決定的に違ったバンドになったと当時の僕は捉えたわけである。

さて手元にある資料で曲目を確認してみると思いの他ジョンが中心になって作った曲が少ないのに気づかされる。しかもその曲のどれもがサイケ調だったり内省的だったりといわゆるオーソドックスなポップソングという様相からは程遠い曲ばかりだ。でも僕はそういうジョンの暗い側面に惹かれていたので、このアルバムを聞くときは、そうした曲を中心に聞いていたように思う。特に「アイム・オンリー・スリーピング」は、このアルバムの中でのベスト・トラック。このアルバムを手に入れた頃かなり煮詰まっていた状態だったので、マゾヒスティックな気持ちで繰り返しこの曲を聞いた記憶がある。イントロ無しでいきなり歌い出すジョンのダルな声を聞くたびに僕の感覚のどこかが異様に緊張する感じを覚えたものだ。

それからそれと同じ頃の事だったと思うが、この曲を入れた編集テープを作成したのだが、それがまた当時のヘビーな精神状態をそのまま反映したやたら殺伐としたものだった。ちなみにそのテープは今でも煮詰まったときに時々聞いている。
それから「タックスマン」は、最初に手に入れたビートルズのアルバム『ロックン・ロール・ミュージック Vol.2』に収録されていたので、アルバム中唯一昔から慣れ親しんだ曲である。厳密に言うと「イエロー・サブマリン」や「エリノア・リグビー」のほうがラジオでよくかかっていたりして耳にしている回数が多いのだが、ポールによるベースの名演の一つがこの曲で聞けるというのを解説で読んで、一生懸命ベースの音を耳で追っていたという記憶が懐かしくもあり、またこの曲に伺われる屈折感が後の音楽観に少なからず影響したということもあって、この曲にはかなりの思い入れを抱いている。またこの曲のベースのリフがほぼそのままジャムの『サウンド・アフェクツ』に収められた曲(どの曲だったかは、残念ながら思い出せない)でパクられていたのを発見したのも今となっては懐かしいエピソードだ。それからジョンによるサイケのもう一つの名曲「トウモロー・ネバー・ノウズ」は後にフィル・マンザネラの801や高橋幸宏にカバーされた。残念ながら後者は未聴だが、当時のジョンのアシッド感の普遍性(なんか変な言い回しだが)を物語るものだと思う。

次の『サージェント・ペパー』でロックの金字塔を打ち立てたと言われる彼等だが、曲作りや演奏面での影響力はむしろこのアルバムのほうが強いのではないか、という気がするのだがどうだろう?有無を言わせぬ名盤とは言えないが、しかし後の世にまで語り継がれるべきアルバムであることは間違いないだろう。(Jan.99)



No.3
名前 ☆TAKE
電子メール s-take90@pb3.so-net.ne.jp
URL http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/
いつ聴いたか 1987年
その時の境遇 19歳、浪人中 それまで洋楽音痴だった私だったが、ビートルズのアルバムのCD化のために巷で巻き起こっていたビートルズ・ブームに巻き込まれた。
今でも聞きますか 年に10回前後、未だにビートルズ・ファンを続ける私にとっては、絶対に欠かせないアイテム。
レヴュー本文 筋金入りのビートルズ・ファンである私だが、正直いうと、「サイケ期」のビートルズがあまり得意ではない。「ビートルズは全部好き」という大前提はあるけど、今でも最も積極的な気持ちで聴く機会が少ないのは、67年のサイケ全盛時の作品である。とはいえ、このアルバムの場合は、一部に苦手なタイプの曲はあるものの、その一方で 私の好きなタイプの「ギター・バンド」的な曲も多いので、今では結構気に入っている。しかしながら、やはりはじめて聴いた時の私のショックは大きかった。『ラバー・ソウル』をはじめて聴いた時、なんじゃ、こりゃと思った私だが(すぐに気に入ったが)、このアルバムの場合はそんなもんじゃ済まなかった。
「シー・セッド・シー・セッド」や「ドクター・ロバート」のような露骨なドラッグ・ソングもショッキングだったが、何といっても「トゥモロウ・ネバー・ノウズ」のサウンド・・・。クオリティの高さはよく分かるし、認めはしたが、このアルバムを本当の意味で好きになるには、結局、約1年もかかった。

後追いの私ですら、こうだった。リアル・タイム・ファンの受けたショックはどれほどのものだったのだろう・・・。このアルバムの特徴はジョンのテープの逆回転などの特殊録音を駆使したサイケ指向、ポールのストリングス、ブラスなどを駆使した「非ロック」指向に象徴されている。ここに至って、2人の作風は以前にも増して全く異なるものになった。実際、それぞれが、自分の作品に精力を注ぐようになり、別々に作業したり、また時には一部のメンバーの参加していない曲も増えている。全員揃ってない曲は2曲、 全員参加しているが、一部のメンバーがパーカッションのみ、バック・ボーカルのみでしか参加していない曲が5曲もある。

乱暴な言い方かもしれないが、こうした傾向を見ると、もはやこのアルバムは、「バンド・ビートルズ」のアルバムではなく、「音楽プロジェクトチーム・ビートルズ」によるアルバムでは?とも思ってしまう。特に、他のメンバーを排除してレコーディングされているケースはポールの作品に顕著だが、ピアノ中心の曲やストリングス中心の曲が多くなれば、ギターがいらなくなるのはごく自然なことだったのだろう。彼の書く曲のクオリティが高すぎて、ロックの枠を打ち破った・・・。すると、他のメンバーを排除しなければならなくなった、というのはちょっと皮肉である。とはいえ、このアルバムに見られる急成長は、そうした「バンドとしての崩壊」によってもたらされた、といえなくもない。

作品の内訳を見ると、ジョンが5曲、ポールが6曲、ジョージが3曲となっている。ここに至ってはじめてポールの作品数がジョンの作品数を上回っているのである。これは、バンド内での主導権がジョンからポールに移った、ということを物語っている。特にポールの作品の充実度は目を見張るものがあり、 個人的にはこのアルバムの頃がポールの全盛期だと信じて疑わない。演奏面でも、ピアノ・メインの曲でピアノを弾きこなしたり、独創的でテクニカルなベースを聴かせるなど、プレイヤーとしての活躍ぶりも見逃せないところ。一方ジョンは露骨にドラッグ体験を匂わせるようになり、若干声も変化しているようだ。 また、はじめて3曲を提供したジョージもインド音楽に挑戦し、個性を発揮している。リンゴのドラミングも、ザ・フーのキース・ムーンあたりの影響が感じられる。

このように、メンバー各自が成長、変化したことにより、ビートルズ自体のサウンドの変化がもたらされたのである。先にも述べたように、このアルバムを最初に聴いた頃は、違和感しか感じなかった。しかし、曲のクオリティの高さは、前作『ラバー・ソウル』と双璧で、その点だけから見れば『サージェント・ペッパーズ』をはるかに上回る。最初ジョンのドラッグ・ソングやサイケ・サウンドに違和感を感じた私が好んで聴いたのは、名曲揃いのポールの作品であった。
しかし、67年以降のビートルズを聴き慣れた頃から、ジョンの作品の凄さのようなものに気がつきはじめた。そうすることで、ジョン、ポール双方の作品を受け入れることができるようになった時、このアルバムの好感度は大きくアップした。今では、結構好きである。しかし、66年6月に来日、ステージ上で笑顔で手を振っていた「アイドル・ビートルズ」が、その時、既にこのアルバムのレコーディングを終えていた、というあたりを思うと、ちょっと不思議な気持ちになる。(Jan.98)

(私のHP”ROCKN' ROLL PEOPLE”の「ビートルズ・アルバム・ガイド」に掲載した記事に一部、修正、加筆したものです)



No.4
名前 ごうき
電子メール g1201@aol.com
URL http://members.aol.com/g1201/
いつ聴いたか 1972年
その時の境遇 中学生でした
今でも聞きますか アルバムを通しては聞きません
レヴュー本文 同世代の多くの方と同じように、私もポップス、ロックへのめりこむきっかけは、ビートルズとサイモン&ガーファンクルでした。中学の校内放送(昼食時や清掃時)ではポール・モーリアなどがかけられていたのですが(当時はそれすらも知りませんでした)、クラスメートが曲にあわせて英語らしきことばで歌っていたのですね。♪ラーララ、ラララーラー、ヘイジュウ♪とか(後でそれはDadada dadada, hey Judeとわかりましたが)。聞いてみるとビートルズの歌だとか。さすがに曲は知らなくても、ビートルズという名前だけは知っていましたから、別の友人にすすめられるままに「レット・イット・ビー」のシングルを買い、そこから人生が変わりました。ただし、B面の「ユー・ノウ・マイ・ネーム」は、「なんじゃこりゃ?」と思いましたけど。

それからは寝てもさめてもビートルズでした。中学生ですからそうそうレコードも買えません。休みの日は、たくさんレコードを持っている歯科医や内科医の息子の所に入り浸りだったような気がします。『リボルバー』は、はんこ屋の息子のN君の家で聴かせてもらったのが最初でした。わたしは買ったはいいけど「何でこれが名盤なんだあ?」と訳がわからなかった『サージェント・ペパーズ』を持っていきました(今は名盤だと思っていますよ。こちらのSmall Circle Of Friendsのスタッフの方やスタッフの方と親しいロックおじさんたちの間では、あまり評価が高くないみたいですけど)。

それぞれのアルバムを録音するのですが、お互いカセットデッキなど持っていない(当時は10万円くらいしましたっけ?、とにかく高嶺の花でしたよね)ので、スピーカーの前にラジカセを置き、録音中は、物音をたてないようにじ〜っとにしているという異様な世界ではありましたが、そんなこんなでビートルズを知っていきました。N君は、「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホウェア」という曲が最高だよ、と教えてくれました。

結論を言いますと、ビートルズのアルバムに嫌いなものはないのですが、無理矢理順位をつけると『リボルバー』は真ん中くらいなんです。どうして?って、みなさんが絶賛するほどクォリティが高い曲ばかりだと思えないからです。誤解されると困るのですが『リボルバー』の曲がつまらない、と言ってるわけではないんですよ。他のアルバム(同時期ならひとつ前の『ラバー・ソウル』)の方が私は好きだ、と言いたいだけなんです。ジョージの曲が3曲も取り入れられ(そのうち2曲が91年のクラプトン・バンドとの来日公演で聴けたのは感激でした)、ポールとジョンの立場が逆転したとよく言われるように、ポールの曲は見事です。「イエスタデイ」よりも「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホウェア」の方が名曲だと思ったりしています。かと言ってジョンの曲がつまらないのか、ということも一切ない。有名な「トゥモロー・ネバー・ノウズ」はもちろん、ジョンが嫌っている「アンド・ユア・バード・キャン・シング」なんて大好きです。あの異常とも言える熱狂のうずの中で、退屈なツアーをこなしながら、これだけのアルバムを作り上げてしまうのですから、天才集団と言うしかありませんよね。

私がビートルズファンだから言うわけではありませんが、はっきり言ってストーンズにしろZEPにしろ、ピンク・フロイドにしろ、わたしはどのバンドも大好きですが、ビートルズと同次元で語るのは、ものすごい的はずれだと思います。多くの人が絶賛する『リボルバー』、私にはごく普通のビートルズのアルバムです。私の感性がおかしいのかもしれませんが『リボルバー』ですら「普通」に思わせてしまうビートルズの偉大さを感じます。

それにしても私が聴いたのは、発表されて6年後でした。当時はその6年が遥か彼方という感じでした。1999年の今、1993年のロックを思い出しても、そんな前のような気はしません。1967年〜1971年というロック史で最も重要かつ激動の時期を経験できなかったくやしさを感じたりもします。 (Apr.99)



No.5
名前 Mr.Lizzy
電子メール yasuba-3.27@gamma.ocn.ne.jp
URL  
いつ聴いたか 1982年頃
その時の境遇 ロックを聴き始めた頃です
今でも聞きますか たまに聴きます
レヴュー本文 私がビートルズを聴き始めた1980年代初め頃、このアルバムの評価はそれほど高いものではなかったような記憶があります。もちろんビートルズの傑作アルバムであることには変わりないのですが、『サージェントペパー」や『アビーロード』ほどの評価はなか
ったように思います。

当時中学生だった私は1枚ずつビートルズのアルバムを聴きながら、ロックの深みにはまっていった頃でした。その頃ちょうどビートルズのデビュー20周年ということで、FM等でよく特集なんかがありました。今もその頃のエアチェックしたテープがあります。

さて『リボルバー』ですが、レコードに針を落とした瞬間変な声で
「1.2.3.4・・・」と聴こえてきました。そして激しいリズム、はねるベース。「これは何だろう?」よくわからないまま聴き続けていると、あっという間にA面を聞き終わり、B面に裏返さなければなりませんでした。
そして「トゥモロウネバーノウズ」。もう一度聴いてみよう。そうやって何度も聴き続けていると、これは凄いアルバムだということがわかってきました。


デビューして最初の数年間は本来素敵なロックンロールを演奏するライブバンドだったにもかかわらず、あまりに素晴らしい楽曲を次々に大ヒットさせたためにアイドルバンドのようなイメージを与えられてきました。しかしファンに追いかけられ、寝る間もな
いほどの多忙なスケジュールと同じことの繰り返しなライブステージに辟易した彼らは、自らアイドルイメージを捨て去りロックバンド本来の魅力を発揮するようになりました。その第一弾アルバムがこの『リボルバー』でしょう。本当の意味でのロックアルバム。それまでのアイドルファンだった人の中にはこのアルバムについていけない人も多かったでしょう。しかし時がたつにつれて理解されていくこのアルバムは、例えば『サージェントペパー』がどちらかというとビートルズファン意外の人が絶賛して最高傑作の太鼓判が押されたのに対し、『リボルバー』はファンからの支持、それもビートルズ以降あらゆる音楽を聴いてもう一度ビートルズを振り返った時に「いいアルバムだなぁ」と思えるものだと思います。
このアルバムの聴き所を書き出すとキリがないのでやめますが、「トゥモロウネバーノウズ」この1曲がこの頃のビートルズ、そしてこの後のロック界を予言しているような気がします。

あきらかに時代の最先端を行き過ぎた音楽。それゆえに今聴いても古さを感じさせないアルバム。あらためて「ビートルズは偉大だ」などという使い古された言葉を使いたくなります。



INDEXへvol.2へ

HOME