No.1 |
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名前 |
鰤 |
電子メール |
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URL |
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いつ聴いたか |
えーと初めて聴いたのは76年か77年 |
その時の境遇 |
受験生(浪人生だったかも) |
今でも聞きますか |
ベスト盤を結構頻繁に聴きます。 |
レヴュー本文 |
このアルバムが発売された当時、大学受験生活をしていた。深夜ラジオの音楽番組で、このアルバムのヘンテコなCMが盛んに流れていたのを良く覚えている。 シンプルでラウドなくせに、大音量で全曲聞き終えてもハードロックのように疲 れない。それどころか何故か爽快な気分になったものだ。その気分は今聴いても味わえる。自分が純粋な気持ちで好きだ、と言い切れる数少ないアルバムの一枚だ。語弊があるかもしれないけど、ラウドな割にはコミカルでポップなんだよね、この人たちの曲って。 当時の友人の中にこのアルバムが気に入った、と言ったヤツはいなかったように
思う。それ以前に買ったというヤツすら居なかったかもしれない。皆パープル、
ZEP、ELP、ヒープ、アメリカものでは、ザ・バンド、オールマン、リト
ル・フィート、ドゥービーなんかに熱中していて、誰もイギリスのチンピラがが
なっているだけのロックになんか興味を持たなかった。結局このアルバムをひど
く気に入った割には、周囲に同調してくれる者も見つからず、それ以上他のパンクバンドに進むこともなく、最初のパンク体験は終わった。 現在の音楽シーンの形成に最も寄与しているのは実はピストルズだと思う。 70年代の中後期から80年代にかけてのブリティッシュ・ロック・シーンは誰の耳にも明らかだったが低迷していた。その間にメディアはいくつかのバンドの売りだしに「第二のビートルズ」「ビートルズの後継者」という文句を使っていたが、そのどれもが音楽性を伴わないうわべだけのブームを追いかけただけの言葉に過ぎなかった。いま、振り返るなら、皮肉なことにこの「第二のビートルズ」という称号に最もふさわしいのはピストルズではなかろうか? ローテクであろうが、プロデューサーのクリス・トーマスのオーバープロデュース気味の音作りが目立とうが、マルコム・マクラーレンの大げさでハッタリたっぷりなプロパガンダのせいでブームが訪れたのであろうが、今となってはどうでも良い。80年代から現在にいたるまで、このアルバムの直接的、間接的な影響はビートルズ以上に大きなものであると断言したい。ビートルズとの決定的な違いはイギリス以外の国で当時ほとんど相手にされなかった点ではあるけれど。 最後に、個人的に、この初期ピストルズが残した正式音源からのベストな一曲はトゥージズのカヴァーで、このアルバムには未収録の「ノー・ファン」であります。 (Feb.9,2000) |
No.2 |
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名前 | ☆TAKE |
電子メール | s-take70@ma.neweb.ne.jp |
URL | http://www.geocities.co.jp/MusicStar/5266 |
いつ聴いたか | 1995年頃 |
その時の境遇 | ジャンルに対するこだわりがなくなりつつあった頃 |
今でも聞きますか | 1年に1回、聴くか、聴かないか。 どっちかというとパンクのオムニバスを聴くことの方が多い。 |
レヴュー本文 |
ジャンルを表わすキーワードは、時として誤解、先入観を抱かせるものである。「パンク」といえば安全ピン、立てた髪に穴の空いたTシャツというファッション、暴言を吐き、唾を吐き、ダーティで、暴力的で、演奏が下手で、うるさいだけで・・・。私はビートルズに出会って以降、「ロック」と名がつけば、とりあえず何でも聴いてきたんだけど、このジャンルだけは別だった。中でもピストルズといえば、そのパンクの代表格。その上、メンバーの一人(シド・ヴィシャス)
は殺人事件を起こして、後に自らも急死。そんなエピソードを知れば、ますます聴きたくもなくなる。 そんな私がはじめて意識して彼らの曲を聴いたのは1989年の大晦日に放送された大貫憲章がDJをつとめる「70年代のロックの歴史」といった趣旨の特番を聴いた時であった
。イエスにピンク・フロイド、クイーンなど、複雑な展開の長い曲が続いた後、その空気を打ち破るようにかかったのが「God
Save The Queen」だった。ただこの番組、先にまとめて曲をかけて、曲の紹介は曲が終わってからという構成だったので、曲が流れた時点では誰の、何という曲なのか知らずにこの曲に接したのである。最初に「次の曲はセックス・ピストルズでGod
Save The Queenです」という曲紹介を聴いていたら、私は耳をふさぎ、心を閉ざしていただろう。誰の曲だか分からずに接したおかげで、何の先入観も持たずに受け入れることができたのだろう。第一印象は「ようやく俺にも分かる曲が出てきたぞ」という好意的なものだったのである。本当に先入観というものの恐ろしさを知った瞬間だった。 一方で「パンク=衝撃的」というイメージも見事に吹き飛んだ。リアル・タイムで聴いた方にとっては衝撃的だったのかもしれないし、一部の人にとっては忌み嫌いたくなる存在だったかもしれない。だけど、私がはじめて聴いた時期が、ちょうど日本でブルー・ハーツなどが活躍していた時期だったわけで、もっと衝撃的、もっとダーティーな音が溢れていた。だから、全然衝撃的でも、ダーティでもないと思ったし、「なんだ、この程度か。ポップで普通なR&Rじゃないか」という印象しか持たなかった。確かに、ジョニー・ロットンのボーカルは奇異だったが、スティーヴ・ジョーンズのギターは、明らかチャック・ベリー→キース・リチャーズという、典型的なR&Rギターの延長線上にあるスタイルだし、曲自体も意外とメロディアスでポップ。「演奏が下手」というけれど、初期のストーンズやキンクスあたりと比べても大差のないものだった。ということで、パンクやピストルズに対する誤解と先入観はなくなり、むしろ好意的に受け入れてしまったのである。 ピストルズのCDを最初に購入した(ベスト盤)のはその3年後。そして、『NEVER
MIND THE BOLLOCKS』を手に入れたのはさらに3年後だった。 こうして、私は彼らのサウンドは好意的に受け入れたし、キャラクターもマルコム・マクラレンに作られたものが大部分とはいえ、いかにもロックン・ローラーらしい、反逆児的なものとして受け止めた。だが、私はシド・ヴィシャスを美化するなどの「パンク賞賛」のような考えは一切ない。私はあくまでも彼らを「ポップでストレートなR&Rバンド」として受け入れたに過ぎないのである。 余談だが、ジョニー・ロットンのボーカルは本当に奇妙だ。R&Rなのにシャウトしないスタイルというのは実に歌いにくい。カラオケで「Anarchy
In The UK」を歌った時、シャウトしたくてもできなくって、ちょっと息苦しかったものだ。 (この投稿は私のサイト、ROCKN' ROLL PEOPLE内の「聴かず嫌い克服ノススメ」のピストルズ編に大幅加筆したものです。) (Feb.20,2000) |
No.3 |
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名前 | グレコ |
電子メール | ZUA03075@nifty.com |
URL | http://homepage2.nifty.com/Greco/index.html |
いつ聴いたか | 1989年 |
その時の境遇 | 高校生どした。 周りにパンクスがたくさんいたの |
今でも聞きますか | たまぁ〜に、ね むしゃくしゃした時はお世話になってます |
レヴュー本文 | ジョニーロットン、シドヴィシャスの「超大暴走ゴーインマイウェイ・ロッケンロー!」
友達が買ったDollって雑誌でシドの特集組んでたのを見たのがきっかけ スティーヴジョ−ンズのギター、背筋がピンと伸びた気持ちよく抜けるドラムス どれもバカみたいにカッコイイ!ピストルズ最高! |
No.4 |
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名前 |
ELWOOD JK |
電子メール |
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URL |
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いつ聴いたか |
1983年 |
その時の境遇 |
数学の補習授業で泣いてた高校一年生 |
今でも聞きますか |
全く聴かない |
レヴュー本文 |
パンクロックはピストルズが登場する以前に既に存在していたらしいが、恐らくこのような名称でリアルタイムに呼ばれていたかどうかは疑問である。ピストルズ登場以前、既にプロになっていたラモーンズが、もしパンクロックバンドと一般的に呼ばれていたなら、ギネスブックにも載らない世界最初のパンクロックバンドはラモーンズになるかもしれない。そしてこの名称がフォロワー達により作られた言葉だとしたら、ラモーンズやピストルズはただのロックバンドだったのだろう。
ピストルズの栄華は一瞬で出来上がった。一瞬一枚のアルバムで、チンピラ四人組がカリスマになり、テクもなくライブでは観客に喧嘩をしかけるような彼等は一瞬にしてパンクロックという名称を浚うことに成功したし、そのサウンドのオリジンを自分らにあると大衆に錯覚させることに大成功した泥棒&詐欺バンドである。それでも何故にピストルズが今でも多くの奇怪な伝説抜き ピストルズのこのアルバムの登場の事実はロック史上の一つの小さな出来事でしかなかった。では何故にこのアルバムが売れ続けるのか。似非ロック革命家としての勝手な公共的なイメージが未だに亡霊のように生きているからだと私は思う。 (Jul.22,2001) |