British Rock

『ライヴ・イン・ジャパン』ディープ・パープル

クロスレヴューvol.4



No.16
名前 野田 泰久
電子メール nodaya@asakonet.co.jp
URL   
いつ聴いたか 1973年
その時の境遇 大学生で某FM局でのアルバイト
今でも聞きますか めったに聴きません。でもDeep Purpleはフェイバリットグループです。
レヴュー本文 Deep Purpleさんとは「ハッシュ」以来のおつきあいです。ライブはロイヤ ルアルバートホールのバージョンのほうがブリットマニアの私としてはいい のですが・・・この日本版ライブは武道館のテイクだけではなくて大阪のフ ェスティバルホールのテイクもたしか入っているハズでしたが・・・(違い まして?) 

さてその時に(フェスのことですわ)私は

「おいしいバイトがあんねんけどな」 

と某局の営業のおっさんに肩をたたかれたのがウンのつき〜ケチのつきはじ め〜人生の曲がり角。つまりは某局でバイトしていた紅顔の美少年君はその 局主催ということでダータでコンサートがみれるバイトやとだまくらかされ て警備員にしたてあげられたのであります。

その頃はBS&T,CHICAGO,ZEP・・・なんてまあーと今から思えばスゴイ時代 でありまして、そんなもんばっかりみていたから結局ろくなもんになりませ ん。ロックはえーでー!と仕事(警備)もわすれ客に背を向け(仕事になっ てまへん)ステージ(それも目の前)に突進していた私でした。そしてブリ ットサウンドに入れ揚げたその果ては英国留学でありました。

ロックライブの原点はこの『ライブインジャパン』と大阪球場のグラファン (71年夏〜麻生レミやらマッシュマッカーンもでましたワ)そして73年やと 思いますがフリーとEL&Pの甲子園(私の友人のD広へお勤めのN山君はバッ クネットを破壊しましたが)だと確信しています。

ライブの楽しみを教えてくれた貴重な体験です。(Jan.99) 



No.17
名前 斉藤 洋
電子メール hsaito@cb3.so-net.or.jp
URL  
いつ聴いたか 1972年
その時の境遇 中学3年生
今でも聞きますか 聞かず
レヴュー本文 中学2年生でポップスからロックに目覚めはじめた私は、1972年12月に新発売となったこのアルバムを買った。グループ名、曲目もこのとき初めて知った。当時はイギリス物でもアメリカ物でも違いはわからず、ただこの手の音楽にふれることで何かしら大人の気分になったものだ。 

ずいぶん音が大きくてうるさい音楽と思ったが何度か針を通すうちに次第に引かれていった。この頃からノリに関しては好みがあったようで、「ストレンジウーマン」「レイジー」がお気に入りであった。「ハイウェイスター」を筆頭にあげる友人が多かったにもかかわらずである。やはりリッチー・ブラックモアのギターは特筆すべきであるし、イアン・ギランのヴォーカルも決まっている。

今から思えばグループ全体としてのサウンドも程よく決まっているが、ジョン・ロードのキーボードは、どうしても今一つである。イアン・ペイスのドラムソロは飽きてしまうがロジャー・グローバーとつくりだすリズムセクションはまずまずであろう。独断と偏見で自分勝手な評論をしてディープ・パープルファンの方々には失礼したが、このアルバムは70年代のロック シーンの上で重要な物であると考える。(Jan.99)



No.18
名前 satoru 
電子メール satokin@ag.wakwak.com 
URL http://www.ag.wakwak.com/~satokin/ 
いつ聴いたか 中学1年 
その時の境遇 勉強を全くしない落ちこぼれ。確か理科は1だった。そんなバカ息子を心配した親が家庭教師を雇った。ところがその人こそ私のロックの師匠となった! 
今でも聞きますか 週に1回は聴く 
レヴュー本文 家庭教師のお兄さん(お姉さんだったら「蒼い体験」が出来たかな(?)が「英語の勉強になるから」と様々な洋楽のLPを貸してくれた。その中でもこのLPは本当によく借りた。まず「ハイウエイ・スター」。「いったいどうしたらこんな速くギターが弾けるか?」という驚きではじまった。どれも素晴らしい曲なのだが、個人的には「スペース・ストラッキン」が一番だと思う。それにしてもこの作品全般に当時の日本の観衆がまだまだコンサートの楽しみ方を知らなかったのか、と思わせるところがある。拍手のタイミングだ。「チャイルド・イン・タイム」を始めとして、へんなところでの拍手が多い!ちなみに私は輸入盤の『メイド・イン・ジャパン』を持っていた。あのジャケットデザインが好きだったから。



No.19
名前 力よし
電子メール rikiyoshi@nifty.com
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いつ聴いたか 75年頃?
その時の境遇 高校生からぐらいだったと思います。
今でも聞きますか 年に1回ぐらい。
レヴュー本文 やっぱりこれは世界的と言って良いくらい歴史に残る名盤だと思います。ライブアルバムをその時までいろいろと聞いてはいましたが、いずれもいざ聞いてみると、力が抜けたようなものばっかりでした。これは多分に演奏者の力量によるところが多いのですが。それはロックの演奏は迫力はあるけれど(レコードでは)ライブではからっきしだめと言うことでもありました。このことは当時私がロックバンドを組んでいたことからくるつまらないジェラシーだったのかもしれまん。

でも、とにかくなによりびっくりしたのはイアンペイスのドラムでした。レコードと寸分違わないと言うよりも、それを大きく超えたねじ込むような速さのフレーズ。それはそれはこんな人がいるんだという本当に驚愕の、皮と金属の音の速射砲でした。その速さとフレーズの多さに驚きつつも一方では、なんて安定したドラムなんだろうと本当にびっくりし、背筋を張り詰めながら聞いていたことを覚えています。

このしっかりした土台の中でそれぞれの音の構築がある事は、当時誰もがこのバンドをコピーした頃から判るように、あとになってすぐ理解できました。ちなみに私の楽器はドラムではありませんでした。(Jul.2001)



No.20
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