British Rock

『ライヴ・イン・ジャパン』ディープ・パープル

クロスレヴューvol.3



No.11
名前 Yasu
電子メール YASOOO@aol.com
URL   
いつ聴いたか 1973年
その時の境遇 高校生
今でも聞きますか 今はあまり聴かない。あまりにも定番過ぎるからかもしれない。それとこれは大きい音で聴ける環境でないとおもしろくない。
レヴュー本文  私が初めて耳にしたディープ・パープルの曲といえば「ブラック・ナイト」でした。当時、父の仕事でベイルートにすんでいたYasu青年は毎日ラジオから流れてくるこの曲をきっかけにハード・ロック・ファンになったといえます。クラスの友人はこの手の音楽を「アシッド・ロック」とか呼んでおりました。新たな音楽性を発見した私は連日地元のレコード屋に入り浸り、お店の人にレコードを片っ端から視聴させていただいたもんです。ジェームス・ブラウン、レア・アース、マザース・オヴ・インヴェンションとか色々聴きましたが、やはりこれだと思ったのがディープ・パープルの『ファイア・ボール』でした。あのオープニングのグイーンという音は今でも鮮明に頭に焼き付いております。『マシン・ヘッド』が登場したときは、あまりにも完成度が高かったので、それ以前のアルバムをじっくりと聴いてみようという気持ちさえ薄れて、現在も初期のころの作品を聴くにいたっておりません。

 そして『マシン・ヘッド』で盛り上がっている矢先、確か72年の暮れごろNMEやMelody Makerといったイギリスの週間音楽新聞に『メイド・イン・ジャパン』の広告が載りました。

 この当時はライブ・アルバムの類はまだ少なく、ライブ・アルバムが出るというような話を聞いただけでワクワクしたもんです。ところがベイルートでは毎度のことでしたが、ニューアルバムの発売はかなり遅れるので、私はこの新聞広告をいつもポケットに入れて持ち歩き、そのアルバムを手に入れられる日を待ちつづけました。

 幸いにも翌一月に我が家は帰国することになり、私は東京のホテルにチェックインするなりアーケードのレコード屋へ直行して『ライブ・イン・ジャパン』を買いました。ただその際に思ったことは「『メイド・イン・ジャパン』じゃないの?」と「なんか安っぽいジャケットだな」でした。どう見ても本来は内側に使われるような写真が表にきているのが納得できず、まがい品をつかまされたような心境でした。おまけに中の写真は日本公演の物ではない。それより念願のレコードを手に入れたものの、かんじんなプレイヤーが入っている引越し荷物が日本へ到着するのに後三ヶ月じゃ話になりません。今度はこのアルバムを肌身離さず持ち歩いて、ステレオのある人の家で聴かせてもらったりしていました。

 内容ですが、今改めて聴くと、このアルバムは当時のライブものとしてはやはり素晴らしい出来だったと思えますが、当時の印象を思い出してみると若干物足りないものがあったような記憶があります。ライブ・アルバムにしてはあまりにも綺麗すぎて全体の盛り上がりが欠けていること。三日間の公演からおいしいところばかりを持ってきたせいか、それとも曲順のせいか、ひとつのライブを続けて聴いてる感じがあまりしませんでした。アルバムには武道館の公演と書いてあるものの実際にはほとんどが大阪二日目の公演だそうです。東京公演は音がよくなかったそうですが、93年に発売された三公演収録した3枚組CDの『ライブ・イン・ジャパン』を聴く限り音はそんなに悪くもなく、むしろ個人的には一番好きなテイクです。このアルバムの一つの醍醐味はジョン・ロードとイアン・ペイスの素晴らしい演奏ぶりだと思います。なにぶんこのバンドではリッチーとイアン・ギランにスポットライトがあたりがちですが、このバンドを実質支えていたのはロードとペイスのような気がします。ロジャー・グローヴァーはかなり印象がうすい。

 このアルバムに入ってる曲はどれも好きだが、『チャイルド・イン・タイム』が一番印象深かった。ま、これはもともとの曲が良いからかもしれない。それでいうとこの曲が入っていて、鰤父や空爺(*編者註 Britishぱぱと空弦氏)が推奨する『イン・ロック』はもう一度じっくりと聴く必要があるかもしれない。

 最後にあのおまけで付いてきたカラー・ネガ。あれを写真屋へ持っていったら店のオヤジに愚痴られた。何故ならワンフレームに切ってあるネガは機械を通らないので扱いにくいのである。結局リーダー・フィルムを足して長くしてもらうことで焼いてもらったが、あれが当時のフィルムの限界とはいえボケたしょうもない写真にはガッカリした。(oct.98)


No.12
名前 むさし
電子メール musashi43@geocities.co.jp
URL http://www.geocities.co.jp/Broadway/2461/
いつ聴いたか  
その時の境遇  
今でも聞きますか  
レヴュー本文 ある日、アマチュア・バンドのオーディションでの会話・・・

「ストレンジ・ウーマンだね。」
「あのギター、結構いい感じじゃん。」
「おいおい、ドラムが遅れてるよ。」
「だから、ディープ・パープルなんて下手な奴がやっちゃ駄目なんだって。」

・・・

「こいつらは、ハイウェイ・スターか。」
「どいつもこいつもパープルだな。」
「やめてくれ〜、声が裏返ってる。」

 その後、しばらくして・・・ バンドキッズたちの間のパープル人気にちょっと食傷気味だっ た少年としては、自分のバンドのギタリストが一度聞いたら忘れない悪魔的なリフをつま 弾きだしたときには、目が点になったなあ。もちろん「スモーク・オン・ザ・ウォーター」のこと ですけど・・・。ギターやる奴ってのは、どうしてこうも目立ちたがり屋が多いかなあ。おいらはベーシストなんだから、ジャック・ブルースみたいにリードをとりたいのに・・・。

「まさか、やりたいとか言わないよね・・・?」
「譜面、ここにあるから。」
「・・・」

 これからが大変。他のバンドのパープル・カヴァーをへなちょこと馬鹿にしていた以上、お 気楽には出来ませんぜ。正確無比なタイミング、太い音調・・・、理想は高いのに、今の自 分の演奏と来たら・・・。ありゃりゃ、惨めなもんだ。練習の前に、ギターの奴には内緒で、 ドラマーと一緒に音合わせしとかなきゃ・・・。重いミディアム・テンポを「支える」ことの難し さを味わった瞬間でした。

 後で自分で弾くのはすっかりやめて、やっとアルバムを聞くだけのお気楽な身に戻って。 ロックから旅立ってえぐくて濃い音楽を経由した耳には、ちょっと「これぞ元祖!」って感じ のハードロックは「聞けないでしょ」っていう思い込みが植えつきました。パープルを聞くん だったら、やっぱりファンキーなトミー・ボーリン。そりゃ最後の方はぼろぼろだったけど。そ れにヴォーカルも、ロバート・プラント・クローンでもいいから、ブルージーなカヴァーデイル。 (そりゃ金髪の方がいいさ。ねえ、toko姉さん。)グレン・ヒューズも多才だし。・・・これが しばらく僕のパープルへの基本的態度でしたね。

 80年代に入ってのパープルは、いまいち満足いかない作品が多くて。(新作も、ちょっと がっかりです。)そんな中、一連の25周年企画が始まりました。特別の興奮もなく、新し いリリースはチェックするという日常のルーチンの中で、パープルにも改めて手を出してみ んべ、と。それが『ライヴ・イン・ジャパン』にもう一度触れたとき。少しは冷静な分析が出来 るようになった最近の耳で聞くと、ロジャー・グローヴァーが昔こう言っていたのに納得。 「俺達はラウドなバンドだけど、ラウドでめちゃくちゃなバンドにだけはなりたくないんだ。」 馬鹿でかい音なんて当たり前になった今でも、これだけ調和のとれたスリリングな構成は 稀でしょうね。今回の購入の目玉は、もちろん新しく増えたトラック。アンコールで行なわれ た「スピード・キング」がすごい! ダイナミック! 熱狂! この曲の最中に、どうもセキュ リティーと観客の間でもめごとが起きたらしくて、ギランが歌を止めてマイクを通じて叫びま す。「お母さんたち、座って楽しもうよ。へい!へい!」って。こんなのは、買い手がライヴ・ アルバムに求める貴重な記録としての付加価値があって、おいしいですね。

 「スモーク・オン・ザ・ウォーター」と付合ったことのある僕としては、『ライヴ・イン・ジャパ ン』と聞いて、この曲を思い出します。ディープ・パープルは一昨年、モントルー・ジャズ・フ ェスティヴァルに出演して"Deep Purple:25th Anniversary of Smoke On The Water"と題 したライヴをやりました。このときの模様は日本でも一部放送されましたね。よく知られて いるように、この曲は『マシン・ヘッド』をモントルーのスタジオで録音したときの、火事に見 舞われた出来事を歌詞にしています。グローヴァーが思い付きで書いたこの曲には、ほか のメンバーはあまり乗り気でなく、最初は「煙」なんていうとドラックを連想させるというの で、お蔵入りしかけました。だから、最初はシングルにもならなかった。その曲を世界中に 有名にしたのが、『ライヴ・イン・ジャパン』でのテイクでした。25周年を飾るモントルー出演 は、パープルの忠実なファンとはいえない者にとっても、そしてブラックモアがいなくても、 感慨深いものでした。このライヴショーの最初と最後に登場して司会をしたのが、ファンキ ー・クロード・ノブズ。「スモーク・・・」の歌詞には、"Funky Claude"として登場する人です。 後で知ったことですが、スタジオが焼けて困ったパープルを助けて、グランド・ホテルでの 収録の手はずを整えたのは彼。そして、その以後ずっと、モントルー・フェスを裏で支えて、 レス・マッキャンとかマイルズ・デイヴィスといったジャズ勢、ルーサー・アリソンなどのブル ース勢のモントルーでのライヴ録音も仕切ってきました。ブラジル音楽を早くからヨーロッパ に入れたのも、彼の功績の一つでしょう。彼が売れ出しの実力派ハードロック・バンドとか らんでいたのに改めて気がつき、幅の広さに感心させられました。

 モントルーとブドーカン・・・音楽は土地を離れて普遍性を獲得できるのと同時 に、土地と のトポロジカルな接点によって抽象化されない魅力を獲得できること を、ディープ・パープル は証明しています。(oct.98)


No.13
名前 ☆TAKE
電子メール s-take90@pb3.so-net.ne.jp
URL http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/
いつ聴いたか 1990年頃
その時の境遇 大学生。後追いで60,70年代のロックを聴きあさっていた。
今でも聞きますか 一年に2,3回。突然、思い出したように聴きたくなる。
レヴュー本文  私はギターが弾けない。高校生の頃、何度か練習したが、マスターできず 断念。以降、「ギターが弾きたい」と思ったことは、ほとんどなかった。し かし、一度だけ、「ギターが弾きたい」気持ちを強くし、ギタリストへの憧 れを抱いた時期があった。それが、パープルに出会った大学3年の頃であっ た。

 私は、シンプルなR&Rが好きで、ハードロックやプログレのよくいえばドラ マティック、悪くいえば大袈裟な音が苦手である。ZEPはハードロック 云々抜きに偉大だし、エアロは私にとってはハードロックである前にR&Rバン ドだし・・・。ということもあって、この辺はよく聴くが、それ以外のハー ドロックを、私の耳はほとんど受け付けてくれない。よって、パープルも、 それ以前は、ほとんど聴いたことがなかった。そんな私が、彼らに興味を持 ったのは、大学3年の頃、講義中に後ろの席に座っていた知らない奴等が雑 談の中で、「パープルは凄い」というようなことを言っているのを聞いた時 だった。好奇心の旺盛な私は、即、輸入CD店へ足を運び、その日のうちに 『ディーペスト・パープル』のCDをゲットした。そして、最初に聴いた時 から、私は、すっかりパープルにはまってしまった。特に、メロディアスで ありながら狂暴さも持ち合わせたリッチーのギターは、私の耳にはとてもカ ッコよく感じられた。また、比較的覚えやすい楽曲が揃っていたのも、はま った理由かもしれない。その後、すぐに『イン・ロック』『マシーン・ヘッ ド』『ライブ・イン・ジャパン』をゲット。一時は私の生活の一部ともいえ るビートルズやストーンズすらあまり聴かなくなり、心はパープル一色。同 時に、リッチーに憧れ、「ギターを弾きたい」気持ちが蘇ったのだ。

 前置きが長くなったが、『ライブ・イン・ジャパン』である。当時、私 が、一番好きだったのが、このアルバムである。パープルは、よく「様式 美」などといわれ、ハードロックなのに、悪くいえば音が整い過ぎていて、 また計算高過ぎて、若干ロック本来の凶暴さを薄れさせてしまう欠点があ る。特に、『マシーン・ヘッド』は、言葉は悪いが、きれいごとに逃げてる ような印象があり、楽曲は優れているのに、荒々しさに欠けていて、このバ ンドが本来持つ魅力を半減させてしまっているように思える。『マシーン・ ヘッド』を「パープルの最高傑作」などという声を聞くと、どうしても違和 感を覚えるのである。

 しかし、このライブ盤においては、その妙な「きれいさ」がなく、狂暴で 荒々しい、いかにも、「これぞロック」と言いたくなるようなロック本来の 魅力が存分に発揮されている。特に、「チャイルド・イン・タイム」「スペ ース・トラッキン」など、長尺な演奏が展開される楽曲においても、「計算 高さ」よりも、「狂気」のようなものが感じられるのが嬉しい。特に「静」 から「動」へ変わる瞬間のリッチーの切れ方は尋常じゃない。また、「レイ ジー」における、ちょっと遊び心の感じられるリッチーとジョン・ロードの アドリブ風のソロや、「ストレンジ・ウーマン」におけるリッチーと、ギラ ンの息の合わない仲の悪そうな「コール&レスポンス」も、「計算高さ」と は全く無縁なものだ。やっぱり、ロック・バンドはこうでなきゃ!というこ とで、私は、このアルバムはパープルの最高傑作であるのみならず、ロック 史上最強のライブ・アルバムだと今でも信じている。もし、「ロックのライ ブって、どんな感じなの?」と聞かれたら、私は何も言わずに、このアルバ ムを差し出すだろう。

 で、結局、私のパープル熱は、ほんの3ヶ月ほどで冷めてしまった。「ギ ターを弾きたい」気持ちもすぐに冷めてしまい、未だにギターは弾けない。 大学4年の頃には、パープルを聴くことはほとんどなくなってしまった。全 盛期が短く、残された作品が少ないせいなのか・・・。また、パープルを一 瞬にして「卒業」してしまったせいであろう、以降、ハードロックというジ ャンルに夢中になることは全くなかった。だが、今でも「パープル」と聞く と、あの頃の気持ちが蘇る。そして、思わずこの『ライブ・インジャパン』 を聴きたくなってしまう。また、「ロック・ギタリスト」といわれて最初に 思い浮かべるのは、私にとっては、クラプトンでも、ベックでも、ペイジで も、エドワード・ヴァン・ヘイレンでもなく、リッチーである。熱は冷めた が、私にとってパープルとこのアルバムは、今でも印象深く、思い入れが強 いのである。 (oct.98)


No.14
名前 あきこ
電子メール kimura@ha.bekkoame.ne.jp
URL http://www.bekkoame.ne.jp/ha/kimura/
いつ聴いたか ほんのこないだ(暴露したくなかった)
その時の境遇 ごく普通の一般人のつもり
今でも聞きますか ついついハイウェイ・スターにだけ手がのびる
レヴュー本文 中学時代というと、すでに勢ぞろいしていた大御所の面々のディスコグラフ ィーの中から、とりあえず代表作を手当たり次第買ってました。で、パープ ル編はお察しの通り、まずマシン・ヘッドがやって来た。これから最初に入 ってしまうと、確かにハード・ロックしてはいるが、なーんだ、以外とメロ がきれいなんだ、っていうちょっと軟弱なイメージがこびりついてしまい、 大変危険なことだと、最近になって初めてライブ・イン・ジャパンを聴いて 感じてます。しかし、演奏曲はヘッドからのものも多いし、スタジオ盤で小 ざっぱりとまとめられた方に耳慣れしていて、長いアドリブと、やたら引っ 張るエンディングは時にやや退屈。ただしそれは、ここまでのレベルの高さ で再現されていたらば、聴くだけじゃ物足りない、実際足を運んでみなきゃ 嘘だよな、っていう意味合いが大きいです。

ひとつ思うのは、構成上はギミックなしの基本ラインの上に、ライブならで はの白紙の枠組みを構え、そこに音をがんがん詰めこんでいくといった、当 時すでにできつつあった形の頂点を極めたものではないかと。そして結果的 にはこれが、のちのち出てくるハード・ロック系バンドにとって、かくある べし、という雛型(テクニカルな部分も含めて)となっていったような気が します。もちろん、中にはメンバーのお得意ジャンルも各所に反映されてい るので、簡単に1次元でくくれるようなものではないし、ライブの完成度と 言う点でも、別格なのは事実です。

しかし個人的には同じライブでも、彼らがすっかりおじさんになってしまっ てからの、93年(20年後!)のライブビデオが比較的おとなしめで、最近や かましいのが苦手になりつつある私には聴きやすかった。あんなによく伸び たギランの雄叫び声は、もう使おうにもどうしようもなく、涙を誘います が、ハイウェイ・スターの最初の間奏部分までは誰かさんは舞台裏に潜んで て、特にロードさんが仕切っているあたり。これはこれで、従来とはかなり 印象が違っていて、ギターなしキーボードの清涼感あふれる音がなかなか心 地よく響き渡るのです。またここで初めてスピード・キングのライブを聴い て、彼のバンドにおける位置というのを改めて認識した次第。

ああ!! でもやっぱり、とても冷静には聴けないものが約1曲。これだけは 避けて通れない。ライブ・イン・ジャパンのハイウェイ・スター、恐ろしか な入門編。臨場感とスピード狂乱状態の中での5人の競演には、終わりまであ いた口がふさげないまま。鋳型にはめたように計算されて作られた、隙のな さすぎるスタジオものと同じ曲とは思えない。理性と野生の両極端の表現法 とは、こうも異なるものなのか。グローヴァーの低音は激しく上へ下へとう ねってるし、ペイスはパターンをとっかえひっかえして、打ち手がコロコロ してとてつもなく芸が細かいし、そしてパープルはそれだけじゃないんだ よ、といくら教えられても、忘れちゃいけない、リッチー様。どうだどう だ、と言わんばかりにあらゆる技を駆使した、いかにも70年代っていう、弾 きまくりハウりまくりスパークしまくりの術。ロックと言えばギターです、 の私にとってはもうこれだけで、どうもありがとうごちそうさま(もしこの 公演行ってたら、多分オープニンクだけで失神してただろうな)。 (oct.98)  


No.15
名前 Kensaku
電子メール s-khg@rc4.so-net.ne.jp
URL  
いつ聴いたか 1973年頃
その時の境遇 高校生です
今でも聞きますか あんまり聴かない
レヴュー本文 私、彼らのライブ・アルバムはほとんど持ってます。このアルバムは確かに素晴らしい内容です。70年代を代表するライブ名盤ということは間違いなしです。でも、大好きな「Highway Star」はスタジオ・テイクの、ブラックモアひとりツィン・リードが気持ち良くて好きです。イアン・ギランはこの日、風邪かなにかで調子悪かったらしいですが、そんなこと微塵も感じさせないプロ根性です。他のメンバーも、この5人でつっぱしるで!というノリで、勢いがこちらにも伝わってくるのが、この時期のライブっていいなぁ。

このときのメンバーが黄金時代ということになってますが、メンバー・チェンジを経て何回かこの5人に戻ったりしましたが、個人的には1993年の来日直前ブラックモア離脱が印象深いです。で、急遽、アメリカのジョー・サトリアーニをギターに迎えその後のツアーをのりきったディープ・パープルです。しかし、そのツアーのブートレグを聴くとすごい良かったんです。それは、音質も良くCD2枚組でしたが、さすがテクニシャンのサトリアーニです、ブラックモアのフレーズも入れつつ自分の味もいれつつ見事なギター職人でした。ジェフ・ポーカロのかわりにTOTOに入った、サイモン・フィリップスと同じことを感じました。プロという意味で。

ただ、ディープ・パープルには職人ではなくグループに溶け込める人が必要だったのでしょう。そういう意味でこの5人一体になったライブはバンドっていいなぁ、と思ってしまうんです。エレキ・ギターを持つと弾きたくなる「Smoke On The Water」も入っているし。(dec.98)



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