British Rock

『ライヴ・イン・ジャパン』ディープ・パープル

クロスレヴューvol.2



No.6
名前 toko姉
電子メール yoget@iris.dti.ne.jp
URL  
いつ聴いたか 昭和中期〜末期
その時の境遇 中学生
今でも聞きますか 鰤のために最近聴いた。(正確に言うと、鰤のせいで聴いた)
レヴュー本文 DEEP PURPLEを聴くきっかけは島田君のおにいさんである。

ある日なぜか島田(弟で同級生)が『BURN』のLPを持って私の所にきた。クラスも一緒になった事もなく、話もした事がないのに・・・だ。

「ねーこれ紫の炎が入ってるLPだよ。買って!」
「!?」
「ちょっと傷ついてるけど、聴けるよ」
「・・・・・・・」ジャケットはぼろぼろである。
「いくらぁ」
「500円」
「高くな〜いぃ」ちょっと泣きそうな顔
「・・んじゃ300円」
「なんで私の所に?」
「紫の炎がいいって言ってたから」
意地悪く「ふ〜ん」
「あんたも音楽聴いてんだ」
「おにーちゃんが売って来いって言うから」
「ふ〜ん、あんたが傷つけたんじゃないのぉ」
「う・・・・。あの・・・」
「買ってやってもいいよぅ」

 ホントはうひひひひラッキ!と思ったのだけど、それじゃ貧乏人を見透かされそうで嫌だったのでがんばってしまった。それからDEEP PURPLEは大好きになったんである。但しこのLPちょっとやそっと飛ぶなんてぇもんじゃなかった。こりゃいかんと思った私はテープに録音して次のLPを買った.....のが『LIVE IN JAPAN』だった。

 当時、私たち子供の間ではささやかなるバンドブームがあってS&Gとかはっぴいえんどとか拓郎なんかを細々と音楽室で練習していた。その中にあって少々金持ちの男の子はエレキギターなんぞを購入しはじめていた。島田くんのお兄さんもどうやらエレキを購入したらしく、お兄さんのいる子達も兄の恩恵にあずかったりしていて羨望のまとだったりしたものです。

 で、細細とアコースティックを弾いてる側から騒音公害が始まった。嫌でも聞こえる「スモーク・オン・ザウォーター」のイントロだけ!相手さんは先輩であるからして、何も言えないが、心の中では「そっから先はどーしたんだよぅ」と思っていた。暫くすると、あきらめたのか今度は「チャイルド・イン・タイム」の騒音が始まった。それも、イントロだけ!相手さんは先輩であるからして何も言えないが「ばかみたい」と心の中で思っていた。「もしかしたらコピーなんて永遠に無理なんじゃないのか」とも思っていた。だって私は『LIVE IN JAPAN』を聴いてしまったんだもの。それも毎日のように聴いていた。今思うと、あのばかみたいな先輩達は中学卒業後もせっせと練習していたらしく、後にはオリジナルなんかを文化祭でやるようになっていた。きっとコピーは諦めたにちがいない。

 それにしても『LIVE IN JAPAN』のなかの「スモーク・オン・ザ・ウォータ」は本当にカッコイイ!LIVEではうねりがきこえる。スタジオ録音は正確な技を伝えるかのようにきちんと聞こえる。 LIVEアルバムというと、同じメンバーなのか!と疑いたくなる、<ヘタクソに聞こえるバンド>もあったので、実は『LIVE IN JAPAN』の前に『マシンヘッド』を買おうかなと思ったのだけど、こっちを先にして正解だった。

 大人になって聴き直してみて又びっくりしたのはライブでの完成度の高さでした。「LAZY」のイントロの部分。当時はこの曲にJAZZの要素を取り入れた云々はまったく知るはずもなかったのだけど、大人になって聴くとちゃんとジョン・ロードは冒頭でヒントを与えてくれていた。聴き逃していた部分がたくさんあったんだなぁとしみじみ思うんである。しかし、ナマで聴きたかった残念だ。もう少しおねいさんになってれば、絶対に行ってたと思うとくやしい。DEEP PURPLEは子供の私と大人の私にライブで真剣に遊んでいる姿を見せつけてくれたんである。 (oct.98)



No.7
名前
電子メール xenon-cd@02.246.ne.jp
URL http://www.02.246.ne.jp/~xenon-cd/
いつ聴いたか 1974年
その時の境遇 高校生
今でも聞きますか 今は殆ど聴かない。聴くなら『イン・ロック』だから
レヴュー本文  パープルから一枚選べと問われたら、迷わず『イン・ロック』を選択する。なぜならそれまでのメンバー二人をクビにするという荒療治を施すまでに一念発起したリッチー・ブラックモアの執念がバンド全体を包み込み、闇雲につき走る荒馬のような迫力、荒々しさ、鋭さを喉元に付きつけられて逃れられない呪縛を感じてしまうからだ。『イン・ロック』を聴いてしまうと、代表作とされがちな『マシンヘッド』は音が洗練されすぎているように聞える。『イン・ロック』は火事場の馬鹿力が生んだ名作だった。たとえイッツ・ア・ビューティフル・デイをパクった曲が入っていてもだ。

 私がパープルの存在を知ったのは恐らく72年か73年であり、当時の最新スタジオ盤で、相当の話題作だった『マシンヘッド』を最初に体験した。確か中学の友人に借りて聴いたと記憶している。だが、先にプログレ系のキング・クリムゾンやピンク・フロイドの洗礼を受けていた私は正直魅力を感じず、恥ずかしながらパープルを次に体験したのは高校生になってからだった。この時の友人に聴かされたのが『ライブ・イン・ジャパン』で、中学生から高校生へのわずか数年間で自分にどれほどの成長があったのかは、今となっては全く思い出せもしないが、それは『マシンヘッド』体験を遥かに凌ぐものであった。早速自分でも購入し聴きまくった。すべてが新鮮でスリリングだった。冒頭に書いたように私にとっての最高作は『イン・ロック』ではあるが、ハードロックへの入門を許されたのがこのアルバムであり、ライブ盤の魅力というものを教えてもらったのもこのアルバムだった。後年知らされた「例えライヴ盤でもスタジオでの修正作業があるんだよ」という事実は、この時は知る由もなく素直に感動したものである。

 楽曲面、演奏技術面等の魅力は他のライターの方が恐らく詳しく書いてくれると思うが、私はこのアルバムに含まれるジョン・ロードとリッチー・ブラックモアのフレーズ、とりわけアドリブ・パートから感じられる伝統的西洋音楽からの影響を嗅ぎ取り、既にのめり込んでいたプログレ勢との根底での共通点を発見した事によって、以来ハードロックとプログレの作品漁りをするようになっていった。プログレとハードロックは兄弟のようなものだと思っているが、両者の最大の相違点はリフだと思う。ブリティッシュ・ロックにおけるリフの重要性を最初に提示したのがキンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」ならば、それを定着させたのがクリームであり、その威力を最大限に発揮したのがパープルと言えるかも知れない。代表曲「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を筆頭に「スペース・トラッキン」のリフもライヴだと一層その破壊力が増しているように感じる。

 今では、この時期に出た作品の多くをパープルに限らず聴くことは少なくなってしまったが、数年前にこの72年の来日三公演をパッケージしたCD三枚組の『ライヴ・イン・ジャパン'72完全盤』(実はタイトルに偽りありで完全ではないのだが)を大枚はたいて購入し、正式盤に採用された音源やアラ探しをしたこともある。自分の気持ちや記憶のどこかでこの作品にひっかかりを持っているからであろう。オリジナル盤の内ジャケットには収録場所は武道館と記載されていたが、収録曲の多くが大阪公演の音源を採用したものであったという事実を知り少なからず驚いたりもした。ロックのレコード史を振りかえればライヴ盤というものが、多く作られるようになったのがこの時代であり、その先鞭となったこの作品が日本公演のものであったという事は嬉しく思う。俗に黄金の第二期と呼ばれるこの時期の、後年発売される発掘音源によるライヴ盤の選曲、演奏、歌いずれもが(正式盤と発掘盤という差を割り引いても)決してこの作品を越えられないという現実を直視すれば、未だに与え続けられている名盤という称号が色あせることはないと思う。

 アナログ盤の方は、何回も買いなおし初回特典(吹けば飛ぶようなちっぽけなカラーネガ)付きのサンプル盤を大切にしている。私にとっての「ハードロック事始め」はこのアルバムであり、感慨深い一枚だ。 (oct.98)



No.8
名前 アブラヤ
電子メール aburaya@cool.email.ne.jp
URL http://www.asahi-net.or.jp/~dv5y-ucd/
いつ聴いたか 1974年の冬休み頃だったと思う…アレ?するって云うと1975年か?
その時の境遇 大宮市内の市立高校に在学していたが、たしか1年生だでした。
今でも聞きますか いや全然(笑) 今回、合同レビューをやると聞いて、改めてCDを買ってきた次第です。(笑)
レヴュー本文  ディープ・パープルですか?そうですね…それこそ現在では、当年とって39歳を過ぎたオッサンの私ですが、彼等の音楽をそれこそ熱病に魘された中毒患者のように聴きまくった時期がありましたっけ。所謂、この『ライブ・イン・ジャパン』は、ディープ・パープルの第2期を代表する名盤中の名盤だと思います。きっと私と同世代でロックがすきだった仲間達は、『こわれもの』や『危機』の頃のイエスと同じように、イアン・ギラン、リッチー・ブラックモア、ジョン・ロード、ロジャー・グローバー、イアン・ペイスの5名からなる第2期のパープルに一番思い入れが強いのではないでしょうか?やはり私などは、『イン・ロック』『ファイヤー・ボール』『マシン・ヘッド』ときて、この『ライブ・イン・ジャパン』で、彼等のキャリアがピークに達したのではないかと勝手に決めつけていますが、まさに超ド級のライブアルバムだと信じています。なにしろ音がよい。初めてこのアルバムを聴いた時はヴォーカルは勿論の事ですが、各楽器の音が非常にバランス良く、しかもクリアーに録音されていて吃驚した記憶があります。(でも、武道館だけじゃなかったのね…大阪でも録音されていたんだ…初めて知りました。)

 私は当時ギターを弾いていたので、どうしてもリッチーのギター・プレイを追う事に全神経を集中して聴いていたのでありましたが、今こうして改めて(20年ぶり位だぞ!)彼のプレイを耳にして思うのですが、意外と彼も全体のサウンド・メイクには気を使った演奏をしている事に驚いたりしています。どうしても当時の私は(美味しい)ソロの部分ばかりに目がいったモノのですが、リッチーのタイム感のしっかりとしたリフやバッキングを久方ぶりに耳にして、やはり彼は流石に超一流ロック・ギタリストだったのだと、改めて認識を新たにした次第であります。それに今更ながら感動したのが、イアン・ペイスの正確無比でパワフルなドラミングだったりしますが、彼のドラムがあってパープルのサウンドが強烈にグルーヴしているのだと実感しました。

 しかし冒頭に言ったように、私が高校時代にパープルを夢中になって聴いていた時って、まさに「く、苦しい〜!ヤクが切れそうだ!早く何でも良いからハード・ロックを聴かせてくれ〜!!」(笑)ってな感じで、この手のサウンドを切らすとそれこそ中毒症患者のように神経が苛立ってきたように記憶しているのですが、本当に切実に欲していたのだ。今にして思えば、あの(ハード・ロック)禁断症状は一体何だったのだろうか?アレは確かに快感としか表現の出来ない恍惚とした豊穣な時間だったように思うのだが…

 当時の私は、「スペクター」や「みなごろし」等(笑)の所謂、暴走族には籍を置いてはいなかったのですが、彼等暴走族が深夜に轟音を立てて、改造オートバイやシャコタン車を走らせる時の快感って、ひょっとしたら私が貪欲に聴いたパープルのサウンドから得る快感と同じ様な質のモノだったのかも知れない。その後、私も成人して大人社会で上手く折り合いをつけるスキルを身につけていくに従がい、自然と“ハード・ロック”から遠のいていってしまったような気がするのですが…恐らく、っていうよりも「ソレは極論だ!」と皆様にお叱りを受けることを承知で言わせて貰います。

“或る完全無欠のハード・ロック・バンドの全盛時代が、1枚のCDに封印されている。”

 (ディープ・パープルを始めとした)ハード・ロックは、我々の中に眠っている「凶暴性」を効率よく発散させる為の「カタルシス・マシン」だったのではないかと思う。しかし…その強力で機能的だった「マシン」も、時代と共に拡大再生産されていった結果、様式美という袋小路に(自ら進んで)入っていったように思えるのであります。 (oct.98)



No.9
名前 YUKIO
電子メール yukiosaito@virgo.bekkoame.ne.jp
URL http://www.bekkoame.ne.jp/~yukiosaito/
いつ聴いたか 1973年頃
その時の境遇 中学2年位かな?
今でも聞きますか まさか....(笑)25年ぶりに聞きました。
レヴュー本文  「ブリティッシュに始まり、ブリティッシュに終わる。」あるいは、「ハード・ロックに始まりハード・ロックに終わる。」そんなことをこのブリティッシュ・ハード・ロックの名作をおよそ25年ぶりに聞いて思ってしまいました。熱帯魚の世界では、よく「グッピーに始まりグッピーに終わる。」といい、はたまた、私の仕事である建築の世界では「住宅に始まり、住宅に終わる。」といいます。つまり、それくらいこのアルバムは、ロックの基本的な醍醐味を味合わせてくれるということを言いたいのです。わかってもらえるでしょうか?

 正直な話、私はディープ・パープルよりレッド・ツェッペリンのほうが好みなのです。このことは今も昔も変らないし、ここで両者の比較論を展開するつもりはありませんが、ディープ・パープルを語る時、やはりレッド・ツェッペリンのことを無意識のうちに比較してしまうことをご了承頂きたいのです(なぜかその逆はない)。メンバー個々のテクニックとかキャラクターなどのディテールをあげれば、いろいろ言いたい人もあるかと思いますが、簡単に言ってしまえば、ブルース度が違うということかな。レッド・ツェッペリンはかなり黒っぽいのですが、ディープ・パープルの音楽は白過ぎるのかな?とは言っても私、本物のブルースを好んで聞く分けじゃないし、白人系の音楽もよく聞いているのですけどね。好みと言ってしまえば、それまでですが....。

 てなわけで、ディープ・パープルの話ですが、ジョン・ロードの趣味であるクラシカル路線(オーケストラとの共演など)にいささか閉口していたリッチー・ブラックモアは、『イン・ロック』でひとつの賭けに出ました。つまりロック路線の『イン・ロック』が成功したら、このハードロック路線でやらせてくれとジョン・ロードに申し出たのです。結果はご存じの通り大成功で、リッチー・ブラックモア主導のバンド・スタイルが確立されていったのでありました。とさ....。

 前置きはこのくらいにして、このアルバムの話をしましょうか。一般に『イン・ロック』からのこの第2期がディープ・パープルの黄金期であると言われており、名作『マシン・ヘッド』で確立された人気にダメを押すように発表されたのが、この『ライヴ・イン・ジャパン』なのです。海外盤では、『MADE IN JAPAN』として発売されたようですが、当初日本では武道館録音ということで、私の仲間うちでは、このアルバムのことは『ブードカン』と呼んでいましたっけね。しかし、あとでわかったのですが、実のところ武道館録音のうち採用されたのは、「ザ・ミュール」と「レイジー」だけのようで、その他は大阪フェスティバルホールでのテイクのようです。全7曲とちょっと物足りない選曲なのですが、実際の公演でもアンコール以外はこの7曲しかやっていないようなので、しょうがないのですけどね....。96年にリリースされた『ライヴ・イン・ジャパン'72完全版』では、アンコール・ナンバーの「ブラック・ナイト」、「スピード・キング」も収録されているようですので、お好きな方はどうぞ。

 このライヴ・アルバム、音質の良いことでも定評があります。このこともこのアルバムを名盤としている一つの重要な要因だと思いますが、やはりそのプレイの凄さは上昇気流に乗っているバンドならではのものを感じます。リッチーのギターは、かなり突っ走ってリズム外してたり、ミストーンも目立つのですが、そのようなことを気にせずドライヴ感を重視した演奏はスタジオ盤では味わうことができないものだと思います...まぁ、以下はくどくど言うよりアルバム楽しんで頂いたほうが早いかな?とにかく当時のギター少年たちにとっては、レッド・ツェッペリンよりディープ・パープルのほうが神様だったのですから。しかしジミー・ペイジは、一体何様だったのだろうか?(笑)

 ちなみに、私の趣味を言わせてもらえば、ヴォーカルにデヴィッド・カヴァーデイル、ベースにグレン・ヒューズを迎えた『紫の炎(バーン)』が最も好きで、リッチーが抜けてトミー・ボーリンが加入してからの『カム・テイスト・ザ・バンド』なんかも結構好きだったりします。あのドライな感触が....。(oct.98)



No.10
名前 真由美
電子メール mayumi@ki.nu
URL http://www.ki.nu/~mayumi/
いつ聴いたか 1972年
その時の境遇 大学生
今でも聞きますか 久しぶりにハードロックに浸ってみたいというとき
レヴュー本文 ディープ・パープルを聴き始めたのは、大学に入ってからだった、と思う。

■73年の日本公演

 73年に日本公演を見たが、その前の年の、このライブ・アルバムを聴いて、どんなすばらしいステージを見せてもらえるのかと、期待した。同72年には『Machine Head』も発表していたから、前評判も高く、武道館は満席だった。

 イアン・ギランとリッチー・ブラックモアがいて「Smoke on the Water」も「Highway Star」も演奏したと思うが、コンサートは精彩に欠けており、演奏時間も短かかった。彼らの話す英語がわからなかったし、場内の熱狂には微妙なずれがあった。アンコールがなかったことで、誰かがステージに駆け上がり、そのあとみんなでステージに昇り、警備員ともみあいになり、椅子をなげ、暴動が始まった。わたしは途中で帰ってしまったのか、そのあたりの記憶が定かではない。翌日のコンサートは中止になり、切符の払い戻しがされた。

■ライブ・イン・ジャパンの真価

 ただ、今になって考えると、この『ライブ・イン・ジャパン』が稀に見る高品質のアルバムだったから、その翌年の演奏がかすんで見えても仕方がなかったのだ、と思う。ライブ盤といいながらも、大阪公演からの選曲まで含めて、全体のバランスが取れていて、旬のパープルの魅了を余すところなく伝えている。これ以上のライブなんて、できるはずがないのだ。

 パープルの演奏会にはなぜか暴動がつきもので「Smoke on the water」もスイス公演のときの暴動をイメージしてつくられたと読んだことがある。ハイ・テンションの曲にそんな不思議な力が潜んでいるのだ。

 二十年ぶりでこのアルバムをかけたとき、思わず立ち上がって、頭を揺すっていた。身体が反応したのである。ハードロックを聴き始めたとき、ロンドンで覚えたわざなのだが、頭を揺さぶりながら、音楽を撹拌してゆくと、初めての曲でもすぐになじんでしまう。こうやって、ライブハウスでたくさんの新進アーティストと出会った。

 わたしは70年代の音楽しかしらないから、パープルといえば、反射的にイアン・ギランの歌声とリッチー・ブラックモアの冴えたギターが浮かんでくる。懐古的と非難されるのを覚悟でいうが、パープルの全盛期は、この二人の活躍と一致している。

 放っておくと、どこにいってしまうか分からない、リッチーのギターをうまくなだめながら、絶叫するイアンは、個性が強いという意味でもとても似合っていた。音楽的見解の違いというが、人気の差もあったのではないだろうか。ふたりとも自己主張の強いアーティストだったから、自分がいちばんだと自負していなければ、曲がつくれなかったのだと思う。

このアルバム、全部がハードロックというわけではないのに、身体を揺さぶって踊り出したくなるのはなぜだろうか。仕事などで忙しく暮らしているとき、身体の中にたまったエネルギーを一気に吐き出すため、70年代のハードロックが必要なのだ。そして、そんなときは迷わずこの曲を選んで、至福のひとときを過ごす。

わたしにとって、このアルバムは70年代のコンサートを見事に再現してくれるという意味で貴重な一枚だ。(oct.98)



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