British Rock

『ライヴ・イン・ジャパン』ディープ・パープル

クロスレヴューvol.1



No.1
名前 千冬
電子メール chifuyu@ps.ksky.ne.jp
URL http://www.ksky.ne.jp/~chifuyu/
いつ聴いたか 1977年頃
その時の境遇 高校生
今でも聞きますか ぜんぜん聴かない(笑)。最近DEEP PURPLEを聴く場合は、『PURPENDICULAR』の中の数曲ですね。
レヴュー本文 DEEP PURPLEと言えばやはり第二期が黄金時代であろう。その黄金時代の最高のテンションとドライブ感を詰め込んだのがこのライブ・アルバム『LIVE IN JAPAN』。

非常に勝手な理想だが...

個人的DEEP PURPLE理想アルバム = (『IN ROCK』+『MACHINE HEAD』) / 2

『IN ROCK』の持つあの粗さと異様なテンションと『MACHINE HEAD』の持つ楽曲の良さを併せ持つアルバム。それが、私の理想とするDEEP PURPLEのアルバムである。その理想がこのライブ・アルバムではかなり近い形態で表現されていると思う。

このライブ・アルバムで特に好きなのは「HIGHWAY STAR」、「SMOKE ON THE WATER」である。この2曲共にアルバム『MACHINE HEAD』ではコンパクトでメカニカルな印象を感じていた。その印象を見事に、吹き飛ばしてくれているのが嬉しい。

このライブ・アルバムは「日本のみでの販売」を条件に許可された。しかしその後、『MADE IN JAPAN』とタイトルを変えてイギリス等でも販売された。内容の良さはこんな所にも現れているのではないだろうか...

(注意)『MACHINE HEAD』を聴いてから『LIVE IN JAPAN』を聴こう!(笑)逆はあまり薦められない...(^^;; (oct.98)



No.2
名前 きむ やす
電子メール y-kimura@mua.biglobe.ne.jp
URL  
いつ聴いたか 1983年
その時の境遇 高校生
今でも聞きますか 余り聞かないです、カバーデールの声の方が好き!
レヴュー本文 この聞き始めの年を見れば分かっていただけると思いますが、まあ後追いも後追いです。当のリッチー大先生が丁度第一線から消えて行き始めた頃にやっと知って、厚みの無い耳で聞いてたって感じでした。しかもハードロックは余り聞かなかったので(今も有名盤位しか聞いてない)ここのリアルタイムで聞いてきた諸先生方の前で何を、言えるんだ!って感じなんですけど、だからこそ出来る一歩さがった見方で書いてみようかなと思います。

 僕がパープルを聞いたのは当時流行っていたレインボーとホワイト・スネークを気に入って、その経由で聞き始めたのがきっかけでした。特にバンドと言うより、カバーディルの声が好きで聞き始めた感が強かった僕は、どうもイアンギラン時代が好きになれませんでした(半分身びいき)。でも或る日仲間の家で見たディープ・パープルのライブ(ヨーロッパのライブ)でイアン・ギランも悪くないなって思って、そのライブのイメージと当時のアンチョコ(高校生はこれに弱い)で薦められるままに買ったのが、このライブ・イン・ジャパンでした(実際は洋盤を先に買ってそれはタイトル『MADE IN JAPAN』って同内容のタイトルの違う奴でした)。

 ギラン時代を知らないので、選曲に少々不満があったのですが、それほどこだわるほどの事もないなと思い、恐ろしいことに『マシン・ヘッド』も『イン・ロック』も聞かないままにこのライブを買いました。今考えるとパープル・ファンに怒られそうな話しですけど、まあ結果は多くの方がそうであるように何で今まで聞かなかったんだろうって思い、一時期かなり聞き込んでいました。まあその当時は学生の性で貧乏が特長ですから買える枚数も決まっていてそれ故のベスト盤変わりの意味もあって、ライブがマイブームでドアーズの『アブソルートリー』やフーの『ライブ・アット・リーズ』なんかを聞き狂ってましたんで、それも後押しになりました。大体日本でやっているライブってのがグウでした。まだ駆け出しで猟盤なんてしなかった(必要無かった)頃、日本でやってる大物なんてこれとディランの武道館しか思い浮かばなかったですし。

 まあ今聞きなおして、ふと考えてみると、パープルは実に日本人に向いた、しかも余り深いファンでなくても跳びこみやすい、曲も覚えやすいし変な意味親しみやすい一般向けの市民権を得やすい(ROCKの定義とは逆ですが)音楽性を持ったバンドだったなあと思います。ほんと自分流極端論で言わせてもらうと、ディープ・パープルは次世代のベンチャーズであるといいたいぐらいです。それ程彼らを聞いてギターを始めた人は多かったのではないでしょうか?つまりテケテケの変わりに「スモーク・オン・ザ・ウオーター」のリフから入ったって事です。その事を痛感した事件もありました。当時の会社の先輩のバンドがデューク・ジョーダンのコピーバンドをやってまして、まあライブハウスで客も踊ってるノリノリのライブをやったんですが、その時洒落で「スモーク・オン・ザ・ウオーター」をアンコールでやったんです。そしたら今まで踊ってた客が一緒にさびを歌い、たてノリに変化して大合唱、その日一番のノリになってしまいました。その時も「みんなパープル好きなのね…」と思いました。

 リッチーはブルース経由じゃないロックを聞いてロックギタリストになった先駆け位の人だと思いますが、確かにシエンカーあたりののスケール弾きやペイジの悪戦苦闘に比べて、綺麗でかっこいいリフを作るのに凄い才能があったと思います。ジョンも結局は彼のバンドであったかと認識できるプレイを繰り広げてますが、今聞きなおして思ったのは、イアン・ペイスの器用さです。ひょっとして日本人(自分を含む)を引き付けたのは彼のドラミングじゃなかったかと感じました。第一僕自身がパープルで好きになったのは「スペーストラッキン」のイアン・ペイスのプレイだったからです。今はもう歌謡曲を聞いてもラウドなサウンドは常識化してますが、どうもアンサンブルの中ではドラムの優劣が(日本においては)でかいような気がします。なにせジャズの昔から我々はドラム大好きですから。(oct.98)



No.3
名前 テリー横田
電子メール terry@lares.dti.ne.jp
URL http://www.lares.dti.ne.jp/~terry/index.html
いつ聴いたか 1976年頃
その時の境遇 中学生
今でも聞きますか まったくと言って良いほど聞かない。とにかく仲間に聴かされ過ぎた。
レヴュー本文 中学の頃、バンド仲間に毎日さんざん聴かされて愛憎相半ばするアルバムだが、再聴にあたってはその感情を忘れて、冷静に音だけを追いかけてみようと思う。

 一聴してまず感じるのは、その演奏の即興性の豊かさである。これは、70年代前期のハードロックに共通したものであるが、「即興」といっても、単に同じ伴奏型でのギターソロ、キーボードソロの長さが拡大しただけではない。曲の進行に従い、リズムパターンやコード進行など、伴奏型のすべてが根こそぎどしどし変化して行く、つまりは途中から別な曲になってしまうわけなのである。この「曲の根こそぎの変化」は、もちろん全くの気まぐれで行われているのではなく、何らかの打ち合わせに基づいて行なわれている訳だろう。が、それにしても恐らくは、一つのツアー中でも何回かは、パターンの取り決めも変えていくのではないだろうか。その意味ではこれも「即興」であるといってもいいと思う。聴衆に与える衝撃の大きさはいかばかりのものだろうか。しかし、その「よい意味での裏切り」の果てに、聴衆はいかにも「巨大な演奏を聴いた」という充実感と、心地よい疲労感とを味わうことになる。

 個々のソロプレイそのものにも、至るところに「即興」の跡が聞き取れる。リッチーにしてもジョン・ロードにしてもそうだ。フレーズそのものもスリリングだが、そのフレーズのまとまりとまとまりとの間の何小節か、同じ音のチョーキングを繰り返す「つなぎ」の部分、あるいは、パッセージのリピートの最後をちょろりと変化させて弾く部分など、いかにも「アドリブでやっている」ことが感じられてよい。ハードロックといえどもジャズとの接点を感じる部分だ。最近のメタルには望めない感覚かもしれない。気まぐれな演奏家の「悪魔のささやき」これも一期一会を捕らえたライブの魅力である。

 それともう一点、これはライブからは離れるが、パープルの「曲のよさ」も今回改めて再認識した。どの曲もサビのメロディーなど実にポップ。演奏力の素晴らしさよりも、この点がパープルを超A級のバンドたらしめている所以であろうとさえ思う。一番如実に現れているのは「ストレンジ・ウーマン」のサビ。I Want You (シンバル)I Need You(シンバル)のところのおいしい演出。ハードロックといえど、ごりごりの演奏とヘッド・バンギングだけが観客とのコミュニケーションの方法ではないのである。

 もうひとつ、ドラマーのイアン・ペイスのコンスタントなプレイについても強調していっておきたい。最初から最後までテンションが落ちるなどということは全くなく、バンドと聴衆を鼓舞し続けてゆく。リッチーなどは日によって調子の良し悪しが出るタイプのように思うが、イアン・ペイスはその点は少ないタイプなのではないだろうか。派手なプレイにばかり耳が行きがちだが、この「コンスタントに場を盛り上げ、引っ張って行く」力。ドラマーの基本条件であり、かつ一番難しい点であろうが、その点でも彼のプレイは最高である。

 様式美を追求するメタルの元祖としての位置付けがすっかり定着してしまった感があるパープルだが、果たしてそればかりとりざたされるのはどうか。先に述べたメロディーのポップさ、あらゆるところに確実に反映されているブルースの要素などを、もっともっと評価すべきではないのか。もちろん、アンサンブル・スタイルとしてのハードロックのシンプルな部分は、時としてジャズを知ってしまった私の耳に物足りなく響く瞬間があることも正直なところ。しかしそれは好みの問題。このバンドのこの盤の価値をなんらおとしめることにはならないであろう。(oct.98)



No.4
名前 空弦
電子メール cougen@remus.dti.ne.jp
URL http://www.remus.dti.ne.jp/~cougen
いつ聴いたか 1972年頃
その時の境遇 高専生
今でも聞きますか ブラックモア奏法の指導を頼まれた時には聞く。
レヴュー本文  あれは同じ学校でバンド組んでいたの先輩のベーシストの家に遊びに行った日の彼の一言「とうとう出たぞ!」で、私の音楽における大きな意識の変化が始まった。ちょうど半年ほど前に『マシンヘッド』と『イン・ロック』の洗礼を彼によってほぼ強制的に受けていた私は、ジャズ的なアドリヴ中心とはひと味違う様式美の元祖とも言うべき当時のDeep Purpleに完全にのめりこんでいた。だからこのアルバムジャケットになっている武道館の、その場に自分がいなかった事を大変悔やんでいたのを、今でも憶えている。1973年には幸運にもあの暴動のあった武道館の場に自分がいた事で、それは少しは解消したが。ジャケット写真には載っていないが、あの伝説のマーシャル特注のPAはその時使っていなかった。

 このアルバムが高い評価を受けているのは当然の事だと思う。それはメンバー1人1人の演奏技術、音楽的感性、リズムにおけるドライヴ感等、全てにおいてバランス良く調和したバンドがパワフルかつ安定したプレーをしている絶頂期のライヴだからだ。だからこのアルバムのカバー曲の演奏をよく耳にするが聴くに耐えない物ばかりだ。

 十数年まえ現役のスタジオミュージシャンを集めて自分のオリジナル曲において「ハイウエイ・スター」のようなビート感を出そうとしたが全く無理だった。レゲーやサルサや古いソウルミュージックを多く経験してきた連中がリズムセクションを担当したのだが、譜面上ははるかに簡単なはずのリズムが出来ないのだ。その後何年かしてシンプルな中に非常に難しい技術が隠されていた事に気付いた。

 実は私は20年以上もこの手のサウンドは聴かないように心掛けてきた、それはあまりにも強い影響を受けたために、楽曲のアレンジの際にそれが出てしまうからだ。最近やっとその封印を解いた。そしてDeep PurpleのMIDIデータを作ろうとして学んだ事は、彼らは実に正確にジャストのリズムをきざんでいた。まるでMJQが8ビートをやっているかのごとく。では何故あのようなヘヴィーなビート感が出るのか、それは音の長さ、切るタイミングにあった。それはまさにモータウンマジックと共通する技法だ。じっさい「スペース・トラッキン」をBBCライヴで紹介する際にイアンギランは、「次は一種のR&Bの曲をやります」と言っている。そこにはよく聴くとFour topsやJ.B.の曲からの影響が見える。だから、譜面に現わす事の出来ない部分での大変な難しさがこのアルバムには凝縮されているのだ。最近は音数の多いフレーズを弾くことが上手いプレーヤーと評価されがちだが、本当に上手いハードロックプレーヤのライヴ演奏の模範はまさにここにある。速弾きでごまかしきれない難しさがそこにある。

 ちなみに私は現役のギタリストで最高1秒間に44回までピッキングできるが、アルバム『Machine Head』の「Lazy」のギターフレーズをレコードどうりに弾くためには全く余裕など無く、かなりの集中力がいる。あのスピード感の中に独特のねばりがあるからだ。それでMIDIで作ったオケに合わせていつでもこのビートに溶け込めるよう1日に一度は弾くように心掛けている。

 さてあのねばり感があるのにヘヴィーで透明感があるギター音質の分析をしてみよう。透明感はフェンダーのストラトが持つキャラクターでヘヴィーな音質はマーシャルアンプ、そしてその2つの特徴をみごとに生かしているのが8個のK-120というJBLの楽器用スピーカーだ。そしてブルースギターのようなねばり感を作っているのはべっ甲製の厚さ約0.7mmのピックと音を外にはじき出すような、高調波を多く含んだ独特のピッキングにある。

 たとえば1973〜4年頃のマーシャルとJBL、そしてメープルネックのストラトを用意してヴォリウムを5位にし、同じようなピッキングが出来れば、あの「Strange KInd Of Woman」のイントロとそっくりな音が出る。ただし、この同じようなピッキングがかなり難しい。

 ギターを中心に書いてしまったが私としてはイアンペイスのあのロールで余韻を引きずるようなドライヴ感豊かなドラミング、パイプオルガンように太い音でありながら歯切れ良いリズムのロジャーグローバーの安定したベース、ハモンドオルガンそのものの可能性に新旋風を巻き起こし、なおかつバロック音楽の様式美をみごとにヘーヴィーに仕上げたジョンロード。そして艶やかで、伸びのある声がソプラノの領域まで使いこなし、安定した音程が歌に安心感さえ感じさせたイアンギラン。演奏技術、音質、リズム、優美でかつスリリングな楽曲、全てにおいてこれほど調和のとれたハードロックバンドは他に無いと思う。その彼らがバンドとして最も旬であった時のライヴと言えるでしょう。 (oct.98)



No.5
名前 ARTI
電子メール fwgc8996@mb.infoweb.ne.jp
URL http://village.infoweb.ne.jp/~fwgc8996/index.html
いつ聴いたか 忘れた。おそらく高校を卒業していた?
その時の境遇 ビアガーデンか後楽園で「スモーク・オン・ザ・ウォーター」をやった覚えあり。
今でも聞きますか 最近、Cougen氏の影響でイアン・ペイスを聴き直した。
レヴュー本文 ブリティッシュ物でもメジャーすぎて書きずらい一枚がこのアルバムです。

 「ハッシュ」や「ハード・ロード」に親しんできた年の方達には、『イン・ロック』以降のディープ・パープルは豹変と言う捉え方をされました。私も深夜放送から流れてきた「スピード・キング」と興奮して絶賛する福田一郎さんの声にその質の高い輝きを感じ取る事が出来ました。その後は、「ブラック・ナイト」などで残してきたギリギリの青臭さも『マシーンヘッド』の頃には消え去って、当時流行の小道具を駆使した大仕掛けサウンドの対局に位置する見事な演奏を繰り広げはじめたようです。それは以前から持ち合わせていたヨーロッパ的、クラシック的要素が下地にあるとは言え、フェイセスなど英国勢と同じようにロックのルーツや根っこを見据え昇華した密度の濃いサウンドと言っても良いかもしれません。特にこの『ライブ・イン・ジャパン』はダイナミックにドライブする魅力を発散し、美しささえ感じ取れるパープルサウンドの代表作と言えるでしょう。

 ライブ録音というのは、そのグループの実力が如実に反映するようです。幾多のグループがスタジオとのサウンドの違いを理由に拒み続ける録音でもあり、スタジオと寸分と違わない演奏しかできないグループには鬼門という噂です。リスナーというのは気まぐれなもので、スタジオのサウンドを求めながらも演奏は生らしくコアな熱気や緊張、またはアレンジの違いなどを求めていますし、おまけにそれがハプニングなぞに富んだものであれば、尚更うれし〜いものらしいです。若々しい生命力がスリルとなって発散したこのアルバムは、その数少ないライブアルバムの一枚だと言われています。よくコントロールされた熱気と気迫を帯びて溢れだしたA面の「ハイウエイ・スター」から最後の「スペース・トラッキン」までの快演を拒絶できる人はそう多くないでしょう。音数は多いものの、よく整理されたリッチー・ブラックモアのギターソロが縦横無尽に飛び交い、イアン・ギランの激唱が快調に聴衆を煽ります。特に正気の沙汰とは思えない「スペース・トラッキン」におけるブラックモアのギターソロに、常軌を逸した凄みを感じ取る事が出来るはずです。またよく話題になる所がイアン・ペイスのノリと頻繁にフィルインさせるロールで、ツェッペリンもサバスも持ち合わせなかった武器たるビートの疾走感は彼に負うところが多いと思えます。

 このアルバムの良さをみなさんも考えてみるというのも面白いでしょう。世間の人気と同じように、早まわしなどと噂された高速8ビート、「ハイウェイ・スター」等におけるリッチー・ブラックモアのギターが好きなのか、それとも極限まで張り上げ歌い上げるギランのボーカル良いのでしょうか。私は知らず知らずにジョン・ロードの毒気に当てられ、メンバーを鼓舞しハードにドライブし続けるイアン・ペイスの熱に冒されてゆく快感が、このアルバムの醍醐味だと思ってます。(特に「レイジー」のジョン・ロードのオルガンと共にハイライトを形成するビートの粒立ちの良さは特筆ものだと思っています。)

 『ライブ・イン・ジャパン』は、そのうち今より一層歴史的にも高い評価をされるようになる気がします。現在でも名盤と言われ、そしてスタンダード盤と呼ばれる一歩手前にいるのですから、そう遠くない時期にジャズでよく言われる歴史的名盤の仲間入りをするのかもしれません。
あ(`_´メ)R '98.10/8 



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