British Rock

『レット・イット・ブリード』ローリング・ストーンズ

クロスレヴューvol.1


No.1

名前

エーハブ船長

電子メール

yutayuta@iris.dti.ne.jp

URL

http://www.iris.dti.ne.jp/~yutayuta/index.htm

いつ聴いたか

1986年頃

その時の境遇

高校生

今でも聞きますか

たまに聴きます

レヴュー本文

ストーンズを語るのはなかなかにして難しい。好きなバンドなのは間違いないしアルバムもよく聴いたのだが、彼らの音楽に夢中になったのはもう10年以上前の話で、その間にストーンズより好きになったバンドがあまりにも沢山いるのである。しかし今回の主役『レット・イット・ブリード』は当時死ぬほど好きで毎日のように聴いていたので、その頃の心境に戻りながら書いてみようと思う。

本作を初めて聴いたのは高校一年生の時だ。レコードを買ったきっかけは当然ながらストーンズが好きだったためだが(もっともこの頃はまだベスト盤しか聴いていなかった)、当時読んでいた「月刊ギター・マガジン」に本作が「名盤」として紹介されていたためもあった。だが聴いてすぐに理解できたわけではなく、実際にこの良さが認識できたのは買ってしばらく経ってからだった。最初は何をやっているのか解らなかった彼らの演奏が、突然躍動感に満ちた音楽に聞こえたのだ。それからしばらくは毎日々ひたすら感動しながら聴いていたことをよく覚えている。

アルバムのオープニングは名曲「ギミー・シェルター」だ。ルーズなギターのアルペジオに始まり、ミックのファルセットがかぶさるイントロはいつ聴いてもかっこいい。間奏で聴けるヒステリックな女性コーラスは誰のものだったか忘れてしまったが、曲調やミックのヴォーカル・スタイルにはとても合っていると思う。そう言えばこの曲はグランド・ファンクがカヴァーしているが、僕はやっぱりストーンズのヴァージョンの方が好きだ。ここで聴ける一種の色気みたいなものが好きなのである。

2曲目は美しい「ラヴ・イン・ヴェイン」。もとは誰だったかの書いたブルース・ナンバーだが、ここで聴けるふっ切れたような爽やかさがたまらなく好きだ。ミックの歌唱もぶっきらぼうなようでいてしっかり心にしみてくる。クレジットを見るとライ・クーダーがマンドリンを弾いているとされているが、アルバム全編で聴ける特徴的なスライド・ギターもライの演奏ではないかとよく言われている。はたして真偽はどうなのだろうか。

3曲目の「カントリー・ホンク」は大ヒット曲「ホンキー・トンク・ウィメン」のカントリー・ヴァージョンで、いかにも田舎臭いフィドルが良い雰囲気をかもし出している。4曲目は一転してハードな「リヴ・ウィズ・ミー」。ボビー・キーズのアーシーなサックスが聴けるが、やはり聴き物はミックの歌のカッコ良さだろう。チャーリー・ワッツのドラムもいい感じだ。

5曲目はタイトル曲で、後々までライヴでよく演奏された名曲。この曲については、もう何と言って良いかわからない。ただただメンバー全員のプレイに聴き惚れるだけだ。何とも言えない味のある素敵な曲だと思う。アナログではここまでがA面である。

6曲目はちょっと異色な感もある「ミッドナイト・ランブラー」だ。長い曲ながら独特な乗りで一気に聴かせてしまう。詩の内容は何となく切り裂きジャックのエピソードを感じさせるが、自ら「真夜中の放浪者」になり切って唄うミックのカッコ良さに思わずしびれる。続く7曲目「ユー・ガット・ザ・シルヴァー」では本作中唯一キース・リチャードの唄が聴ける。僕はこの曲が大好きだった。歌詞も良い感じだが間奏で聴けるフレンチ・ホルンのような響きのキーボード、この音色の醸し出す温かい雰囲気が大好きなのである。

8曲目はハードな「モンキー・マン」。適度にハードなギターとミックのヴォーカルに興奮できる。歌詩は麻薬のことを唄っているらしいが、そう言えばストーンズとドラッグとの関係は今でも続いているのだろうか。

本作の収録曲で何しろ好きだったのがラストの「ユー・キャント・オールウェイズ・ゲット・ホワット・ユー・ウォント」だ。聖歌隊の合唱で始まる長いナンバーだが、サビで唄われる「あなたの欲しいものがいつも手に入るわけではありません」という言葉は、本当にいつ聴いても僕の心に引っ掛かって離れなかった。そう言えば後に僕が大好きになるアル・クーパーの演奏が初めて聴けた曲かもしれない。なぜ彼が採用されたのか理由は謎だが。

本作に夢中になったのも既に10年以上前のことだ。しかし80年代半ばに洋楽を齧り始めた高校生にとって、言ってみれば本作は「本物のロック」を聴く上での登竜門になったアルバムだったと思う。もしもこれを聴かなかったら今ごろはZepもランディ・ニューマンも聴かなかったのではないだろうか。久しぶりに聴いてみたらそんな気がして、思わずストーンズに感謝したくなった。(Jan.99)


No.2

名前

シバタ

電子メール

lp0105@mail2.doshisha.ac.jp

URL

http://www3.justnet.ne.jp/~ysawa/

いつ聴いたか

1983年

その時の境遇

中学3年の8月

今でも聞きますか

年に2、3回くらいかな

レヴュー本文

今でもそうだがあまり夏は調子が良くない。その年の夏は特にそうだった。高校受験という年であるにもかかわらず僕の頭の中はロックとエレキ・ギターへの憧れで一杯で勉強なんかに打ち込める状態ではとてもなく、しかしその衝動をぶつける対象もその方法もみつからずただ悶々としていただけ。両親との仲もその時が最悪であった。そんな状態に追い討ちをかけるように僕はお盆に来た親戚からもらったわずかばかりのおこずかいを地道にためて買ったのだ、そのレコードを。

「ローリング・ストーンズ」このバンドは、今や来日しても一時期のマイケル・ジャクソンが来たときとあまり変わりないニュアンスで迎い入れられるようになり、かつての「分かる人しか語ってはいけない」的な匂いが殆ど無くなってしまった。しかし当時は麻薬問題がらみで日本に来るのがほぼ不可能と言われたのも逆説的に手伝い、またその年の6月に81年のアメリカ・ツアーのドキュメント映画『レッツ・スペンド・ナイト・トウゲザー』が公開され、それに合わせて宝島出版から『ストーンズ・ジェネレーション』というストーンズ・ファンへのインタビューとエッセイを中心とした本が出版され、ストーンズ来日は「あり」か「なし」か?ということを中心に静かに熱く盛り上がっていたのだ。

そういう肌で感じ取ったストーンズとそのファンが発していた熱い空気に触発され僕はただやみくもにストーンズに憧れ彼らのファンであると称することが一つのロック・ファンであることの証であるかのように考えて、彼らについて少しでも多く知りたいと思って日々を暮らしていたのだ。そうした中で手に入れた『レット・イット・ブリード』である。はまらないはずはない。

最初聞いたときは「ちょっと地味かな?」という気はした。またデコレーション・ケーキの上に彼等5人の人形が楽器を演奏しているスタイルで乗っかっているというジャケットが妙に馬鹿にされているようで聞く前に一抹の不安を感じた(裏ジャケでそのケーキが崩れているのを見たときも違う意味で不安を感じたが)。しかし、ちょっとパンクっぽい「リブ・ウイズ・ミー」と「ギミー・シェルター」のサビのフレーズ「強姦 殺戮 おっぱじまりそう おっぱじまりそう」に「こりゃスゲエ、これぞロックだぜ!!(笑)」的なのりで興奮しだし、その後毎日2、3回は聞いて、両親との仲を一層険悪なものにしていったのである。

今でこそいっぱしのロック・ファンのような顔をしてはいるが、前述したようにその当時の僕はその頃の自分にどうしようもないやりきれなさを感じており、そんな自分とは違う自分を映し出してくれる鏡のような存在になってくれるのではないかという期待を抱き、それがどんなものかまだ今一つ分からない状態で「ロック的なもの」に憧れていただけのガキでしかなかった。そんなガキに「ロック的なもの」に対する認識を植え付けた最たるものの一つがこの『レット・イット・ブリード』であった。僕のホームページの文章「山川健一と十九歳、そして僕」でも触れたように今やストーンズに殆ど思い入れを抱いていない僕だが、さすがにこのアルバムには愛着を覚える。現在すっかりCDばかり買うようになってしまったが、このアルバムはなぜかCDで買い直そうという気がしない。ストーンズの作品の中で最初にこれを買うきっかけをくれたストリート・スライダースの村越弘明氏と土屋公平氏に感謝したい。(Jan.99)


No.3

名前

☆TAKE

電子メール

s-take90@pb3.so-net.ne.jp

URL

http://www.geocities.co.jp/Broadway/5266/

いつ聴いたか

1990年

その時の境遇

大学生、ストーンズはベスト・盤から入り、順次オリジナル・アルバムを揃えていた頃だった。

今でも聞きますか

年に7、8回

レヴュー本文

もともと、熱狂的なビートルズ・ファンで、ストーンズは「聴かず嫌い」だった私だが、偶然耳にした「ジャンピン・ジャンク・フラッシュ」を聴いて以来、ストーンズにはまり、以降、ストーンズは私にとって、「2番目に好きなバンド」であり続けた。好きな曲が多いのは60年代半ばまで、好きなアルバムが多いのは70年代初頭である。そんな私にとっても、このアルバムはストーンズの全アルバム中、思い入れの強いものである。 

前作『べガーズ・バンケット』発表後、ブライアン・ジョーンズの解雇と急死、ミック・テイラーの加入というゴタゴタを間に挟んでレコーディングされたアルバム。しかし、内容的にはそんなことを微塵も感じさせない力作であり、ストーンズの代表作の一つとされている。ブライアンの参加は2曲のみでその上、ギターも弾いておらず、一方の新加入のミック・テイラーの参加曲も2曲。ということで、 このアルバムの大半のギター・パートはキース一人で担当。その上、ミックも映画出演のため多忙で、曲作りはほとんどキース一人で行われている。ということで、キースの頑張りがやたら目立つアルバムである。

サウンド的には、前作からはじまった アメリカ南部指向を受け継いでいるが、ここではレオン・ラッセル、アル・クーパー、ライ・クーダーなどのアメリカ人アーティストのゲスト参加により、さらにディープに本格的なアメリカ南部的サウンドを確立するに至っている。これは、ここに参加したアーティストの影響ももちろんだが、この時期キースがグラム・パーソンズと親交を深めていたこととも無縁ではないだろう。実際、シングルのみで発売された大ヒット曲「ホンキー・トンク・ウィメン」のカントリー・バージョンともいえそうな「カントリー・ホンク」には、フライング・ブリトー・ブラザーズのレコーディングにも参加しているバーロン・バーラインが参加。実はこの曲、「ホンキー・トンク・ウィメン」のオリジナル・バージョンだということで、つまり、元々はグラムの影響下のもとに 作られた曲ということが明らかである。また、ロバート・ジョンソンのブルース・スタンダードをドラマティックで美しいバラードにアレンジした「むなしき愛」も、キースがグラムのアイデアを採り入れてカバーしたものであった。グラムはこのアルバムのセッションにこそ参加していないが、ストーンズ、特にキースに大きな影響を与え、このアルバムのサウンド作りに大きく貢献しているのである。

もう一人忘れてはならないのが、その「むなしき愛」で マンドリンを弾いている当時はまだ無名だったライ・クーダー。彼の参加はこの1曲だけであるが、実はセッション中のある日、キースが帰った後、ミック、ビル、チャーリー、ニッキー・ホプキンスとともに軽いジャムセッションを行っており、後日、そのテープのライ・クーダーのプレイを聴いたキースは、彼のプレイ・スタイルやリフを盗み、自分の新たなギター・スタイルを確立するのである。もちろん、最初はパクリであったが、そうやって作り出したキースのギターのスタイルは、 以降のストーンズにとって、欠かせないものになっていくわけである。実際、このアルバムでキースの弾くリフは、これまでのストーンズにはみられなかったスタイルである一方、以降のストーンズ、キースの典型的なスタイルであるともいえる。このようにして、本場のアーティストと交流することにより、ストーンズはこのアルバムでよりディープにアメリカ南部指向のサウンドにのめり込んでいくことになるのである。そして、それが70年代以降のストーンズ・サウンドの基礎になるわけで、ある意味「60年代への別れ」を告げ、「70年代への序章」にもなったアルバムともいえそうな気がする。

楽曲も粒ぞろいである。何重にもオーバー・ダビングされたギター・リフと、ミックのボーカルに絡むメアリー・クレイトンのボーカルが印象的な退廃的かつ、ルーズな「ギミ・シェルター」、ミック・テイラー加入後、初のレコーディング曲で、レオン・ラッセルがピアノのみならず ホーン・アレンジも担当した「リヴ・ウィズ・ミー」、ストーンズには珍しい、長い演奏が延々と展開される「ミッドナイト・ランブラー」、初のキースのリード・ボーカル曲で、ブライアンのラスト・レコーディング・ナンバーになった「ユー・ガット・ザ・シルバー」、ロンドン・バッハ合唱団が参加、クラシカル、というよりゴスペル風の荘厳な大作「無情の世界」など、「捨て曲」が全く見当たらない。ということで、「アメリカ南部的なサウンド」というと、「野性的」「荒々しい」「猥雑」という印象を受けるが、このアルバムには そうした感じがあまりない。楽曲の出来も完璧で、音もクリアだ。また、「ギミ・シェルター」の、何重にも及ぶオーバー・ダブを施したギター・リフに象徴される、完璧かつ計算高いサウンド作りもこのアルバムの特徴といえる。つまり、「アメリカ南部的なワイルドなサウンド」を持つ一方で、本来ならそれとは相容れないはずの「計算高さ」が同居しているのがこのアルバムの特徴ではないだろうか。ストーンズのアルバムで、こんなに計算高いアルバムは他に例を見ない。だから個人的には、好きな曲も多いし文句なく好きなアルバムなんだけど、「ストーンズらしくない」という印象を持つというのも正直なところである。 でも、「らしくない」と思ってはいるけど、テンションが高く、隙のない出来で、実はこのアルバムこそが「ストーンズの最高傑作」だと思っている、というのも事実。ちょっと矛盾してるけど、これが私のこのアルバムに対する印象である。  

さらに個人的なことを述べさせて頂くと、95年、98年の2回のストーンズの来日公演時に計3回のステージを見た私だが、 その際「ギミ・シェルター」、「むなしき愛」、「レット・イット・ブリード」、「モンキー・マン」、「無情の世界」を生で体験。正直、生で見るまでは「むなしき愛」、「レット・イット・ブリード」、「モンキー・マン」あたりは特別好きな曲でもなかったのに、生で体験してこれらの曲のよさを再発見させられた。とにかく、なぜかこのアルバムの収録曲の演奏ばかりが印象に残ったのである。そんなところにも、 このアルバムの不思議な魅力を感じてしまうのである。(私のHP”ROCKN' ROLL PEOPLE”の「ローリング・ストーンズ・アルバム・ガイド」における記事に、修正、加筆したものです)(Jan.99)


No.4

名前

Hazex

電子メール

hazex96@bc.mbn.or.jp

URL

http://plaza2.mbn.or.jp/~fab/index.html

いつ聴いたか

1990年8月20日

その時の境遇

就職活動が実質的に終わった日。この日以後、残った学生生活はバンド活動になります

今でも聞きますか

アルバムとしてはたまに聴くだけです。ただ、曲としてはライヴ盤などで親しんでます

レヴュー本文

ストーンズのアルバム中でこれほど密度の濃さを感じさせる作品はない。いずれの曲も何度も何度も演奏して練りに練った末の趣向品という印象を受ける。その理由としてまず第1に、勢い一発といった感じのロックンロールと言い切れる曲がない。キースお得意のひらめきリフでグイグイ押していく曲がないのだ。「ギミー・シェルター」や「リヴ・ウィズ・ミー」などが一番リフ・ロックンロールしやすい曲なのだが(のちのライヴバージョンではそうなる)そうしていない。ストーンズが表現しようとしていたのはサティスファクションのようなノリ重視のロックンロールでなかった。このアルバムがレコーディングされていた時期のストーンズはブライアンの不参加やミック・テイラーの加入などバンドサウンドの端境期にあった。そして時代も60年代のクライマックス(ウッド・ストック、オルタモント)に向けて膨張し続けていた。さらにブルーズなどのルーツ・ミュージックがロックサウンドを形作る上で重要な鍵として認知されてもきていた。ストーンズの狙いはこの時代の“空気”をつかんだアルバムを創ることだった。米英に新しい感覚を持ったバンドが多数出現しつつあり、ロックの先駆者たるストーンズは60年代の傑作を創る必要があった。いくつか録音されたロックンロール曲はお蔵入りとなった。

第2にゲストの多様によって5人のバンドで表現できる限界を超えようとしていたこと。再出発を計ったベガーズバンケットの成功に自信を得てさらにその路線を推し進めていこうとした(録音時期は似たようなもんだが)彼等は、ソウル界からメリー・クレイトンを迎え「ギミー・シェルター」での起用、伝説のブルーズマン、ロバート・ジョンソンのカバー「ラヴ・イン・ヴェイン」、南部ロックの流行をつかむべくレオン・ラッセルに「リヴ・ウィズ・ミー」のホーンアレンジを任せボビー・キースのブラスを入れてみた。ライ・クーダーからはキースがコードワークを盗み取り!、「無情の世界」ではロンドン・バッハ・合唱団を器用、ビートルズのヘイ・ジュードを昇華させた試みか。これらがアルバムの音楽性をロックンロールに留まらない幅広いものにするのに成功している。もちろんメロディも飽きを寄せ付けず、ライブでの定番曲となっていくものばかりだ。アルバム全曲がライヴで演奏されていることから(カントリーホンクは例外)ストーンズにとっても自信作のはずだ。

それにしてもアルバム発表から既に30年も経ってしまった。当時まだビートルズは存在しておりロックにはラヴ&ピースのメッセージがあった。米ソの宇宙開拓競争はアポロ11号が月面着陸により終止符が打たれ、ベトナム戦争は北爆により泥沼化し世界各地で反戦運動が巻き起こった。日本は大阪万博を翌年に控えた高度成長期のただ中でで東名高速が開通したのもこの年、渥美清の映画『男はつらいよ』シリーズがはじまった。これほど社会情勢が変化しているにもかかわらずこのアルバムは名作としていまだ輝いている。オアシスごときの傑作だの名作だのいわれているものなど果たして30年後にどうなっているのか?それは経ってみないと分からないがただひとつ言えることは30年後でも『レット・イット・ブリード』は今と変わらず名作の地位を保持しているだろうということ。1969年からこの世紀末までのロックの激動の変化・進化にも耐えてきたのだ。これからの30年も名作の地位は揺るぎないだろう(Jan.99)。


No.5

名前

ELWOOD/JK

電子メール

fwhw1821@mb.infoweb.or.jp

URL

いつ聴いたか

1983年

その時の境遇

「おしん」っていう朝ドラが大流行し、このアルバムを買った時が夏であり、高校野球と「おしん」を見ていた親が、長髪高校生の僕に「健全さ」を強要していた時期で、高校野球で当時有名だったI高校も大根飯も大嫌いだった。女とも不仲で、煙草を覚えた時期でもあった。

今でも聞きますか

聴かなきゃ、自分の人生終わってると思うんで、よく聴いてます。

レヴュー本文

「ギミー・シェルター」、「虚しき愛」、「ミッドナイト・ランブラー」、「無情の世界」という名曲揃いのこのアルバムは、全作の『ベガーズ・バンケット』とは比較にならないほどのテンションの高さと、数学の方程式を用いて割り出したような無駄の無さが、無上の快感と感動を産み出してる。ヒッピー文化真っ直中の1969年という年、当時のロック・ファンにとって、このアルバムはかなりショッキングなアルバムだったと思う。

60年代の代弁者的な存在のビートルズの存在感も薄れ、残されたもう一つのカリスマであるストーンズが、当時の若者やロック・ファンに対して吐き出したアルバムが、美辞麗句が一切存在しないこの『レット・イット・ブリード』だった。愛と平和を求め若者どもがデモやらストとロック・フェティバルを繰り返しても、若者どもはストーンズの日常と同じくセックスとドラッグに溺れ、結局はこのアルバムのタイトル通り、ベトナムでは多くの軍人さん達の無駄血が流れた。

しかし、ストーンズはこのアルバムを通し、当時の世相を皮肉っているのではなく、セックス、ドラッグ、その他の柵に溺れても用意に手に出来ない何かを捕まえる努力をさり気なく訴えていると僕は思うのである。このアルバムの本音的部分がラストの「無情の世界」であり、人間が自然の摂理に組み込まれていることを訴えているように聞こえるが、努力次第で自然の摂理から飛び越えて欲しい物が手に入れられることを、ストーンズの独自の独特な皮肉的表現で訴えていると僕は思うのである。廃退的イメージが一般的に強いこのアルバムだが、個人的には人生の応援的なアルバムであり、ラストの「無情の世界」で僕は努力することを知ったのだ。(June.99)

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