British Rock

『ファイヤー・アンド・ウォーター』フリー

クロスレヴューvol.1



No.1
名前 シバタ
電子メール aag02030@pop06.odn.ne.jp
URL http://www3.justnet.ne.jp/~ysawa/
いつ聴いたか 1987年
その時の境遇 浪人生
今でも聞きますか 年に2、3回
レヴュー本文

僕のホームページ、そして『レコード・コレクターズ』への投稿で書いたとおり 、僕のとって最愛のハード・ロック・バンドとはこのフリーに他ならない。しかし フリーの最高傑作との誉れの高いこのアルバムに僕はそれ程入れ込んでこなかった 。今でも良く聞くのは『フリー・ライブ』と『ハイウエイ』、その次点に来るのが 『トンズ・オブ・ソブズ』だろうか。確かにいいアルバムだと思う。傑作と呼ばれ ることに何の異論もない。このアルバムを買った浪人時代には、それなりに聞き込 んでいたと思う。なにせ自分でお金を出して買った唯一のフリーのアルバムは、ほ かでもない、この『ファオアー・アンド・ウオーター』だったのだし・・・・・で も『フリー・ライブ』と重複している「ファイアー・アンド・ウオーター」、「オ ールライト・ナウ」、「ミスター・ビッグ」などの曲をスタジオ盤と聞き比べてみ ると、僕としてはどうしてもライブ盤に軍配を上げてしまいたくなる。他のスタジ オ盤に比べて曲数が少なく、その分一曲の演奏時間が長尺になっているのも僕にと っては、マイナス要素として映ってしまう。かつての『レコード・コレクターズ』 におけるフリー特集で大鷹俊一氏は次作『ハイウエイ』を「コクのようなものが足 りない」といってあまり」評価していなかったが、その『ファイアー・アンド・ウ オーター』にある種過剰に分泌されていた「コク」が薄まった分僕にとっては、『 ハイウエイ』のほうが耳になじんでいる。あのアルバムに漂う何とも言えない「枯 れ具合」と、切なさのようなものは、ハード・ロックとかブルース・ロックとかい った枠組みを超えたところで、僕の感性を捉え続けているのだ。とはいえ、このあ たりは個人の趣味以上のものではないが。

さて、上に書いたような理由で僕はこのアルバムを実家に帰ったとき弟が持ってい るCDで聞き返す以外に聞くことは殆ど無かったのだが、この文章を書くに当たっ て今一度聞き直してみて、それまで抱いていた印象に少々変化が生じていたことに ちょっとした驚きを感じている。それまで長尺で退屈だと思っていたのが単なる先 入観であることに気づかされた。確かに一曲一曲がやや長めではあるが、アルバム 全体の流れに身を委ねる余裕のようなものがあれば、さほど気にはならない。かの ロッド・スチュアートをして「イギリス最高のボーカリスト」と言わしめたポール ・ロジャースのボーカルは、長尺の曲を退屈にさせないだけの圧倒的な説得力をも って曲に対峙している。ただ気になるのは、もう一人のポール、ポール・コゾフの ギターが前2作からすると極端なくらいに元気がないということ。ツェッペリンに おけるヴォーカルとギターとの掛け合いとはまた違った形で二人のポールは、初期 二作でヴォーカルとギターとの微妙な絡みを展開させていた。その図式がこのアル バムにおいてはほぼ完全に消え失せている。この頃からコゾフは、クスリに体を虫 食まれていたのだろうか?確かにここぞというときには、ツボをえたフレーズを聞 かせてくれるのだが、基本的にはボーカルのバックという域を脱していないように 思えて、寂しい。

それにしてもロジャース、コゾフ、カーク、フレイザーという四人がこのフリーと いうバンドを結成したという事実は、実にすごいことだったんだな、と改めて思う 。このフリーに限らず4ピースバンドというのは、その4人でしか作り得ない独特 のグルーブというか、オーラのようなもの発散することが多いようだ。その例とし て、ツェッペリン、フー、日本では、ローザ・ルクセンブルグ、ミッシェル・ガン ・エレファントといったところが挙げられる。だからこそ余計にもっとコゾフが元 気な状態でこのアルバムで演奏してくれていたら、このアルバムに対する印象も随 分違ったものになるだろうという気がしてならない。


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