American Rock

『ホテル・カリフォルニア』イーグルス

クロスレヴューvol.1



No.1
名前 YUKIO
電子メール yukiosaito@virgo.bekkoame.ne.jp
URL http://www.bekkoame.ne.jp/~yukiosaito/
いつ聴いたか 1976年
その時の境遇 高校2年かな?
今でも聞きますか はい、時々聞きます。
レヴュー本文 Old Fashioned Rock Wave より転載

 ちょうど今、関東地方は今年3回目の記録的な降雪により一面白銀の世界と化しています。少なくとも僕にとっては、『ホテル・カリフォルニア』というとこのような冬の雪景色を思い出さずにはいられません。

 なぜなら、このアルバムが発売された当時、僕は金沢という日本海側の町で高校生活を送っていたのですが、その冬がやはり豪雪の年で僕達はその雪になかば埋もれ、雪景色を見ながら発売されたばかりの『ホテル・カリフォルニア』というイーグルスの5枚目のアルバムに聞き狂っていたように思います。

 家にいることに退屈した僕達は遅れてくるバスをあきらめて、よく歩いて街へ出たものでした。今はどうなっているのかわかりませんが、片町あたりのロック喫茶『年老いた子供』、『ラスト・サマー』などにたむろしては、暖かいコーヒーをすすり、くだらない話をしながら退屈な北陸の冬を過していました。よく店でもかかっていたこの『ホテル・カリフォルニア』は暖かい南カリフォルニアの風を寒い日本の片田舎の冬に運んでくれたのです。

 しかし、少年ながらそのサウンドの背後に見隠れする何かしらの陰りあるいはイーグルスの苦悩は僕達の話題の中心でもあり、その冬のイメージとともにやがて大人にならなければならない僕達の心に焼き付いていったのです。

 いささかポピュラーになりすぎた嫌いがあるにせよ、『ホテル・カリフォルニア』がイーグルスあるいは70年代のロックの最高傑作であることに反論することはエネルギーの浪費にしか過ぎません。そして、作品がアーティストを超えてしまうという幸福な悲劇を彼等にもたらしてしまいました。このような現象は、後にも先にも、ピンク・フロイドの『狂気』とこの『ホテル・カリフォルニア』しかないのではないでしょうか?

 セカンド・アルバム『ならず者』というコンセプト・アルバムで西部劇のアウトローのストーリーに自らに姿を投影させ、すでに精神的完成の域に達してしまった彼等が、今度は肉体つまりサウンドの強化を目ざして『オン・ザ・ボーダー』、『呪われた夜』と徐々にパワー・アップしていった結果、この『ホテル・カリフォルニア』がリリースされたのは、アメリカ建国200年でもあった1976年の暮れのことでした。

 70年代という時代の空虚、カリフォルニアという楽園の退廃をすっかり暴露してしまうという自らの存在をも否定しかねない究極のコンセプトを選んだのは、彼等の生真面目さによるのでしょうが、これじゃ次にやることなくなちゃいますよ、ほんと。まさに駆け足の人生さながらというわけです。もう少し『呪われた夜』的アルバムを残してほしかったけど、1969年できらしてしまったスピリット、これ以上延命できなかったのでしょうね。(Jan.1998)



No.2
名前 真由美
電子メール mayumi@ki.nu
URL http://www.ki.nu/~mayumi/
いつ聴いたか 1976年
その時の境遇 ロンドンで語学学校に通っていました。
今でも聞きますか たまに聴きたくなる
レヴュー本文 日本に帰国する友だちのためにお別れ会を開いて、生まれて初めて、ピカデリーサーカスにある公認カジノをのぞきました。その帰り道、少し興奮して、喋り過ぎた頭にすっととけ込んで行くような曲が、Hotel Californiaでした。

イーグルスは知っていたけれど、いつもの陽気なイーグルスではなかったのが気になりました。その後、町中にこの音楽が流れてだして、なんども繰り返し聴きました。ロンドンでは、信じられないことですが、自宅にLPレコードが聴けるような環境がなくて、一年後に帰国して初めて、このアルバムを通して聴くことができたのです。

難解だといわれた詩を辞書を片手に訳しながら、華やかなメロディの裏に潜む、囚われ人と愛について、初めて理解できたような気がします。全編が愛の歌に溢れている、だから、ロンドンにいたとき、あんなに心にしみわたったのでしょう。

今でもこの曲を聴くと、ロンドンのハイドパーク・コーナーからナイツブリッジにかけての風景が浮かんできます。ここをバスで曲がるとき、Welcome to the Hotel California とよく口ずさんでいました。(oct.98)

No.3
名前 panda4x4
電子メール panda4x4@geocities.co.jp
URL http://www.geocities.co.jp/Milano/2625/
いつ聴いたか 1977年頃?
その時の境遇 中学生、ギター弾き始めの頃
今でも聞きますか 聴きますし、演奏もします。
レヴュー本文  当時私はまだ中学生でした。アルバム「Hotel California」を理解するには、若すぎたにせよ、タイトル曲の「Hotel California」を、初めて聴いた時の衝撃は、今も鮮明に覚えています。

 いつものように私は、西側の窓に座り、暮れ行く空を眺めながら、兄が遺したアコーステックギターを弾いていました。FMから流れてきたこの曲を聴いたとたん、その哀愁を帯びた旋律に涙が止まらなくなりました。繊細でかつ、硬質な響きの12弦ギター、ハスキーでありながら、温もりのあるボーカル、哀しくも美しいハーモニー、そして計算し尽くしたかのように絡み合うツインリード、どれをとっても完璧な曲です。

 やがて大人になり、このアルバムは全編を通して、苦悩に満ちた重々しい時代を貫ぬこうとした、自分達の姿を象徴するものだと知りました。Doobie Brothers「South City Midnight Lady」、Led Zeppelin「Stairway To Heaven」そして、Eagles「Hotel California」この3曲以外、私を泣かした曲はありません。高校生の頃から、バンドを始めるようになり、幾度となくコピーを試みましたが、この聖域にはとても踏み込めないですね...。(Nov.1998)

 
No.4
名前 Kensaku
電子メール s-khg@rc4.so-net.ne.jp
URL  
いつ聴いたか 1976年
その時の境遇 大学生やってました
今でも聞きますか 年に1回聴くか聴かないかぐらい 聴くときは3日続けてとか
レヴュー本文  イーグルスのアルバムで、初めて発売日に買ったのがこれです。そのまえは、『グレーテスト・ヒッツ』を愛聴してました。『グレーテスト・ヒッツ』は、僕にとっていい選曲だったので、繰り返しよく聴いてました。まだ、カントリーっぽさの残る楽曲も多くて軽い感じがとてもカリフォルニア、ってムードでいっぱいでした。世の中もウェスト・コーストだ、西海岸だ(同じ意味ですけど)と明るくて軽い雰囲気で、クルマで海へ行くならBGMはイーグルス、でしょう。そのまえの『One of These Nights』から、いくつかヒットも生まれて知名度も多少ありましたし。

 で、このアルバムです。僕には、今までの彼らに対するイメージを覆されました。リズムはレゲエなのにやけに、暗い感じのタイトル曲をはじめ、3曲目の「Life In The Fast Lane」のファンク路線とかには、面食らいました。だから、「New Kid In Town」や、「Desperado」のような「The Last Resort」が初めは好きになったんです。このころ、LPなんて月に1枚買えるかどうかの生活していたもので、このアルバムを繰り返し聴きました。すると、タイトル曲始めこの曲順で聴いてるとだんだんのめり込むようになりました。結局、当時やってたバンドでタイトル曲はカバーしました。

 ジョー・ウォルシュの参加した初めのアルバムです。彼のことは、以前からファンだったので彼が入るとこうなることは、想像できたはずなのに、予想以上に彼の個性が発揮されていて、えらいことになった、となぜか思いました。(Nov.1998)

No.5
名前 テリー横田
電子メール terry@lares.dti.ne.jp
URL http://www.lares.dti.ne.jp/~terry/index.html
いつ聴いたか 1976年
その時の境遇 中学生
今でも聞きますか もちろん
レヴュー本文

 アメリカ人にとって、カリフォルニアは西部開拓の果てに約束された夢の土地だったはずだ。
 移民と開拓が完全に過去になった今でも、彼らは自ら土地を切り開き、生活と個人の自由をつかみ取っていった先祖たちを誇りにしている。与えられたものではなく「自らこの国を創ってきた」というプライドに取りすがって、それを共有することで、己れの立脚点を保っているようにさえ見える。
 ベトナム戦争をひとつの契機に、そのプライドは大きくひび割れる。自由と正義の名の下に行った戦いに負け、はじめて自らの行き過ぎを知ったのだ。さらに50〜60年代前半と驚異的な成長を遂げたアメリカ経済の減速が、経済や社会システムの中で奴隷のようになってしまった個人の意識を目覚めさせたのかも知れない。黒人の人権問題も大きく吹き出し、本当の自分とは何なのかと考えはじめたアメリカ人たちは、「実はこの国は楽園などではなく、逆に我々はこの国に囚われた囚人なのではないか?」という、自由とは180度違う考えに至って行く。
 そいうった「囚われた」状況から逃れようと、若者達を中心に、一種の原始共産社会への回帰運動が起こった。それがヒッピーとかフラワー・ムーブメントとか呼ばれた運動であろう。しかし、文明がここまで進んでしまった以上、こういった後ろ向きの考えはどこか無理があったのではないか。ベトナムでの敗北が決定的となるとともに、この運動もすたれてしまった。後に残るのは残骸のみだ。
 そして、その残骸の果てに、このアルバムはある。

 難解で抽象的なタイトル曲の歌詞のラスト「この場所から立ち去ることは出来ない」が端的に示すように、これは、「すべての人が囚われ人になってしまった」ような、そんなアメリカ資本主義社会への幻滅と告発の歌である。常に自分の正義を信じていたアメリカ人が、自らの非を認める始末書のようなものなのだ。さぞかし苦渋に満ち、苦々しい思いだったのだろう。
 「囚われ人」はもちろん、アメリカ人ばかりではない。あなただって私だって、職場や家庭などから、はたまた日本という社会全体から、あるいは「あくせく働かなければおまんま食えない」現実からも「囚われ」ている。人間である以上、その環の中から外れることはできない。集団や権力などに「囚われ」ることは、生きていく上での代償なのかもしれない。第一、人と人とのつながりをまるっきり断ち切ってしまっては生きて行けない。その観点から、この「ホテル・カリフォルニア」は、我々日本人にも、いや、もっと人間全体に、共通の問題を問いかけてくる。
 そして、時は90年代も末、個人の側も社会の側も、多少は「本当の豊かさは精神の充実」ということに理解を示してきた。戦争やテロなど、極端な考え方に走る危険性をも私達は知った。しかし、抜本的なこの問題…人間の「囚われ人」的な感覚からの解放…は、まだ示されてはいない。

 思いっきり思想的なことばかり書いてきたが、ともあれそんな重いテーマを扱いながら、これだけ美しいポップ・ミュージックを造り上げてしまう。それだけでもう私にとっては彼らは大天才である。(Nov.1998)



INDEXへvol.2へ

HOME