American Rock

『フィルモアのジェファーソン・エアプレイン』ジェファーソン・エアプレイン

クロスレヴューvol.1



No.1

名前 アブラヤ
電子メール aburaya@cool.email.ne.jp
URL http://www.asahi-net.or.jp/~dv5y-ucd/
いつ聴いたか 1975年の夏だったと思う。
その時の境遇 高校2年だったはず…。
今でも聞きますか 今回久しぶりに聴きました。
レヴュー本文 かつて某国営放送局で「ヤング・ミュージック・ショー」という、当時のロック少年達必見の音楽番組があった。まだ若くてビンビンだったストーンズやピンクフロイドにイエス、フェイセズ等々…レコードや雑誌のグラビア写真で想像するしかなかった彼等が、ブラウン管の中でバリバリと動く姿がお茶の間にいながらにして見られたのだが、今回取り上げるジェファーソン・エアプレインもしっかりと放送してくれたのだった。ちなみにモンタレー・ポップ・フェスティバル(1967)出演時の映像だったのだが、紅一点の歌姫グレイス・スリックに惑わされた奴は沢山いたのではないかと思う。ちなみに私はストラトに火を付け、ジッポライターのオイルをかけながら、妖しげに身をくねらせるジミヘンに心を奪われたのだが、よりによって中学時代の同級生Y君が彼女にハマってしまったのだった。それまでエルトン・ジョンやアル・スチュアートのLPで埋め尽くされた彼の部屋に、ジェファーソン社のプロペラ機が飛来するのはアッという間だったように思う。ま、Y君のおかげで労せずに彼等の作品群に接する事が出来て、私もラッキィーだった。(笑)

さて、この『フィルモアのジェファーソン・エアプレイン』は、先に述べたモンタレーの翌1968年、彼等のホームグラウンドとでもいふべきシスコのフィルモア・ウェスト、それにニューヨークのフィルモア・イーストでのライブを収録しているのでありますが、現在聴いているCDがデジタル・リマスター盤のせいか、大昔Y君から借りて聴いた頃に比べて、格段に音質が向上しているのが第一印象でした。
とりわけジャック・キャサディの野太いベースが、このバンドのグルーヴ感を決定づけているような気がするのですが、以外とカッチリと律儀にリズムを刻むスペンサー・ドライデンとの絡みが思いのほかスリル満点で、この演奏を生で聴けた聴衆はさぞ果報者じゃないでせうか。それからやはり、このバンドの肝はポール・カントナーのシャキシャキとしたリズム・ギターだと思う。ときおりリズムを外したり、音程を狂わせたりと、割とファジーな(笑)ヨーマ・コーカネンに比べて、このライブでのポールは素晴らしいし、おそらく当時のポールは機内でも一番発言力が強かったのではないでせうか…きっと機長さんだったの鴨試練。それにしても、このライブ盤で聴くことの出来る「Somebody to Love」はスタジオ盤や、モンタレーでのライブを遙かに凌ぐ極上の演奏だと思います。それにヨーマのスッ惚け加減が絶妙な「Rock me baby」も秀逸。いずれにしても、この『フィルモアのジェファーソン・エアプレイン』、あのモビー・グレープやスティーブ・ミラー・バンド等々、当時隆盛を極めたサンフランシスコ・ロックを代表する名盤でせうね。

(18.Sep,2000)



No.2

名前 元シスコサウンド・コレクター
電子メール xenon-cd@02.246.ne.jp
URL http://www.02.246.ne.jp/~xenon-cd/
いつ聴いたか1977年
その時の境遇高校生かな?学校の友達でサザン・ロックを集めてるヤツがいて
対抗して私がシスコのロックを集めていた頃。
今でも聞きますかもう持ってない。
レヴュー本文  このアルバム好きだったな〜。実はもう一枚のライヴ盤『ウィンター・ランド』の方がパパ・ジョン・クリーチのヴァイオリンが好きで良く聴いたんだけどね。

 ボクにとってジェファーソンで最大の魅力だったのはジャック・キャシディーのベースでした。ジャック・キャシディーってルックスがイカスじゃないですか。
いつも●-●こんな丸メガネとヘア・バンドをしていて、ヒッピーの権化みたいで。ボクにとってカッチョいいベーシストの英国代表がフーのジョン・エントウィスルで米国代表はジャック・キャシディーで決まりダスよ。ジミ・ヘンドリクスが『エレクトリック・レディランド』で彼をゲストに呼んだのもなんとなくわかりますね。高校生の頃にグレイトフル・デッドから入って、サン・フランシスコのクイック・シルバーやモビー・グレープ、ラム、スティーブ・ミラーなんかを次々に聴きあさっていたのだけど、ジェファーソンってそれらに較べると、当時のボクには結構ヘヴィーに聞こえて「やっぱりデッドやモビー・グレイプの方が好みにあってるかな〜」なんて思ったりしてました。でも不思議なもので、ジャック・キャシディーがヨーマ・カウコネンと始めたホット・ツナを聴いたら、今度はそっちのほうがずっと好きになってしまい、結局のところジェファーソンのサウンドのうち男性的な要素が好きだったということになるのでしょうか?実際、ポール・カントナー、グレイス・スリック派のファンには申し訳ないが、スターシップと名を代え、ヨーマとジャックが居なくなったジェファーソンには殆ど興味がなくなりました。

  このライヴ盤はジャックとヨーマ組、そしてポールとグレース組の絶妙なバランスがもっとも拮抗していた時期のもので、そのバランスの妙を満喫できる、サンフランシスコ・サウンドを代表する一枚ではないでしょうか。一体何歳だったのか不明な例の黒人のファンキーなオッサン、パパ・ジョン・クリーチが本来女性的な音を出すはずのヴァイオリンを、そうではなく男性的なニュアンスで持ち込んできたものだから、この拮抗したバランスが崩れてしまった、と思うのはボクだけでしょうか?その崩れたバランスを堪能できるのがもう一枚のライヴ盤『ウィンター・ランド』で、こちらも良いアルバムでしたね〜。

リクエスト:アメリカン・ロック担当スタッフの方、もっとシスコのアルバムをとりあげてちょ。モビー・グレイプの『ワウ』デッドの『太陽の賛歌』がいいダス。

(21.Sep,2000)



No.3

名前 ごうき
電子メール g1201@aol.com
URL http://members.aol.com/g1201/
いつ聴いたか 1975年頃
その時の境遇 高校生
今でも聞きますか このアルバムも含めて、JAは常に聴いています
レヴュー本文  ロックを聴き始めて、もう30年近くになります。数多くのアーティストを好きになりました。ラジオから流れる曲に惹かれて好きになったり、友人の薦めや音楽誌のレコード評を読んで実際に聴いてみて好きになったり、さまざまです。ですが、ジェファーソン・エアプレイン(以下JA)は、音楽誌に載ったグレース・スリック様(女神さまを呼び捨てはできない)の1枚のグラビアに惚れてしまったのがきっかけでした。音以前の問題で夢中になってしまったのです。ですから私には、【JA=グレース様】でありまして、JAのファンの方からは、「グレースは重要なメンバーではあるけれど、JAは【ピンキー&キラーズ】ではない。」と言われたこともありますが、私にはそうなのだからしかたがありません(笑)。

 でも、それだけではここに投稿してもはねられてしまうので、JAの音楽のことも書きましょう。JAのこのライヴアルバムの魅力をあげると、もちろん私にとってはグレース様の生の声に尽きるのですが(笑)、JAというバンドは、一人一人が好き勝手なことをやっているようで(実際にやってると思いますし、特に彼らの代表作と信じて疑わない『After Bathing At Baxter's』は、レコードに現れた音はもちろんですが、レコーディング自体も大変なものだったとか)この全盛時の6人が揃うと、不思議にま とまってしまうのですね。

 演奏部隊?の4人については、先にレビューを投稿されたおふたかた(アブラヤ氏と元シスコサウンド・コレクター氏)が書かれていますし、私も同じような印象を持っていますので、省略しますが、グレース様とマーティ・ベイリンという2人のリード・ヴォーカリストに目を向けてみますと・・・2人ともエゴをむき出しにした強引な歌を聴かせてくれますし、コーラスをつける側にまわっても、自分がリードをとっているような歌い方をしますね。普通なら不協和音になるところだと思うのですが、そうはならない・・・決して心地よいハーモニーではないけれど、なぜか引き込まれる・・・水と油と言うよりは、油と油なのですが、決してくどくはない・・・と、ことばを並べてみると、すごく中途半端なものに感じるのですが(苦笑)、実を言いますと、後のジェファーソン・スターシップで感じられる爽快な魅力とは違って、JAは、例に挙げたヴォーカルをとってみても、演奏をとってみても、いまだに「これが魅力なんだ!」と明言できないのです。

 すべての曲・アルバムを聴いていますし、大好きなバンドであることは確かなのですが、グレース様の美しさ以外の魅力を上手く表現できない不思議な存在です。とは言え、このアルバムから感じられる熱気は、もう少し早く生まれて、できることならサンフランシスコに住んで、リアルタイムでJAを体験し女神さまを見たかったなあ、という思いをいっそう強くする力があります。それは初めて聴いた25年前も、今も変わりません。 グレース様は還暦を機に、きっぱりと引退してしまいました。公式録音としては最も新しいと思われるリンダ・ペリー(元4ノン・ブロンズ)のアルバムでのヴォーカルを聴いても、全く衰えを感じませんでしたが、惜しまれての引退は、グレース様らしいいさぎよさを感じます。

 グレース様に出会えてから女性アーティストを中心に聴くようになりましたが、あのグラビアを目にした時の衝撃にまさるものは、いまだかつてありません。

(31.May,2001)



INDEXへvol.2へ

HOME