American Rock

『アメリカン・バンド』グランド・ファンク

クロスレヴューvol.1



No.1
名前 アブラヤ
電子メール aburaya@cool.email.ne.jp
URL http://www.asahi-net.or.jp/~dv5y-ucd/
いつ聴いたか 1973年
その時の境遇 中学3年生だった…
今でも聞きますか ときどき聴いています。
レヴュー本文 “アブラヤのホームページ”より転載

 どうも私の場合は生まれ育った土地が田舎町だったせいか、長髪の兄ちゃんや姉ちゃんを間近に見る機会って云うのは殆どありませんでした。 書店も自転車で行ける範囲になかったモノで、少年誌などは父親に泣きついて会社帰りに買って来て貰うのを楽しみにしていましたっけ・・何しろサイケデリックなんていう言葉を知ったのは、当時に父親に連れて行かれた床屋さんで待ち時間に読んだ週刊誌に掲載されていた、ピーター・マックス(おお!)のイラストが「最先端のイラストレイター出現!」などという謳い文句と共に紹介されていたのを見ては 、子供心に「う〜む、こういう世界もあるんだな〜・・」などと感心していた訳なのであります。

その後少しずつ大きくなっていったアブラヤ少年は野球小僧に進化を遂げて、日々白球を追い続けていた或る日のことでありましたっけ、野球部の先輩が当時は未だ珍しかったラジカセを部室に持ち込んで、大音量で音楽を聴いていたのでありました。 そうだ無茶苦茶暑かった中学一年の夏の日だと記憶していたので、きっと1971年の夏休みでの練習日だったと思います。 「それ誰の曲ですか?」と恐る恐る聞いた私に対して、怪訝な顔をしたニキビ面した先輩がぶっきらぼうに「グランド・ファンク・レイルロードだよ!今はコレが一番格好良いんだぞ!」と得意そうに答えてきたのでありました。 今から思い起こせば、あの時の曲は「孤独の叫び」だったのではないかと記憶しているのですが、何しろ暑い日の午後でしったっけ。 部活の練習は結構きつくて、練習中に水一滴でも飲んだら「ケツバット」といって尻をバットで叩かれるので、ひたすら夕方になって練習が終わるのが待ち遠しく思った事だけは今でも忘れられませんが、或る日突然に空が曇ってきて突然のスコールが襲ってきた日があったのですが今から思い起こしてみれば、ひょっとしてそれは「あの日」だったのではないかと思うのであります。そう、グランド・ファンクの今では伝説化している、あの後楽園球場に於ける嵐の中でのライブ…当時の私は坊主刈りの野球少年だったのだ…

それから2年後、彼等の曲がラジオから盛んに流れてきたのでありました。イントロのカウベルがコンコンと鳴った後のドラムスのフィルインに続いて怒濤の様にマーク・ファーナーのギターが絡んでくる御機嫌な、あの「アメリカン・バンド」だった訳なのですが、これには流石に胸が高鳴る思いがしました。同級生が早速買ってきたという『We're An American Band』を彼の家まで駆けつけて何遍も聴かせて貰ったのでありましたが、何しろ音が格好良かったし裏ジャケットに載ったメンバーの裸写真にも結構笑いまくった ように覚えています。その後、「ロコモーション」「オー・ワンダフル」とグランドファンクの曲は盛んにラジオから流れてきたのですが、やはり遅れてきたロック少年にとってのグランドファンクは何と云っても「アメリカン・バンド」に尽きると思っています。

後に私がハマっていくZEPのジミー・ペイジ等のような「星の王子様」タイプではないのですが、彼等…特にギター&ヴォーカルのマーク・ファーナーのマッチョ馬鹿?っぷりが最高にイカしていたし、何よりも小難しい能書きを垂れない所が好きでした。

因みに本作『We're An American Band』は、あのトッド・ラングレンがプロデュースを担当しております。(o^^o)
ロック本来のイノセントな初期衝動を感じ取って貰うには、史上最高のロック・アルバムだと(私は)思っていますので宜しくです。(Aug.1998)



No.2
名前 moonweed
電子メール takaaki.watanabe@ma2.justnet.ne.jp
URL http://www2.justnet.ne.jp/~takaaki.watanabe/
いつ聴いたか 1973年?
その時の境遇 高校生
今でも聞きますか 一年間に1回くらい?
レヴュー本文

 1/4世紀前の記憶を呼び戻し(^O^)、Grand FunkのこのAmerican Band ・・

 GFRと云えば、当時すでに確固たる地位を築きあげており、ハートブレイカー、アーユーレディ?、孤独の叫び・・等のヒット曲は勿論の事、 発表されているAlbumも全部がビッグヒットしていた。

 当時、高校生だった私は学園祭や自主コンサートで、必ずこのGFRの曲が演奏されていたのを良く覚えている。どこでも歌は別として演奏そのものは、なかなかだったような気がするのだが(^O^)、思い出すと友人との間で、GFRの情報はとにかく多かった。 (といっても学校全体の中で4〜5人しか洋楽を聴いてる奴は、いなかったのだが(^O^)) 「レッド ・ツェッペリンをぶっ飛ばした」「5000Wの出力を出す Band」・・などなど、LPも私が良く足を運んでいた渋谷西武の地下にあった輸入盤専門店のバーゲンには、必ず大量に出されていた記憶がある。

 私の個人的な印象であるが、GFRはこの第一期「戦争を止めよう」までが、やはりGrand Funk Railroadであり、このすぐ後にプロデューサーとの離別のニュースが友人の間でも流れ「どうなるんだろう?」と女性週刊誌風な話題に発展していった・・・ しかしながら、この時期、私はパズルのような英国のBandに興味が移っていきGFRを追いかけなくなっていたのである。そんな中『不死鳥』がリリースされた時に、何かオシャレなハードロックバンドに変わってしまったような印象を受けた。「おぉ、孤独の叫びを20分やっていたBandとは、とても思えない・ ・」といったところだろうか。 そんな印象を受けながら、しばらく経ってFENでイントロのカウベルがかっこいい曲を聴いた。 Vocalが聴いたこと無いんで新しいBandかな?と思っていたら、Grand Funkに続いて「We're an American Band」のアナウンス!これには驚いてメンバーが変わったのかな?というのが最初の印象だった。

 それにしても、今聴いてもこのドン・ブリューワーのVocalはドスが効いててカッコヨイ!でも初期の曲と比べると洗練されていて、物足りなさも感じるのだが…
しかし、70年代にGFRがやった事っていうのは、“未だにちっとも色褪せていないなぁ”と再認識させられる。(Nov.1998)



No.3
名前 テリー横田
電子メール terry@lares.dti.ne.jp
URL http://www.lares.dti.ne.jp/~terry/index.html
いつ聴いたか 1979年頃
その時の境遇 高校生かな
今でも聞きますか ときどき聴いています。
レヴュー本文

「グランド・ファンクってソウルバンドだよな」
 何かにつけ独断が激しい私の友人のTは、グランドファンクについてこう断言した。奴にいわせるとピンク・フロイドもリチャード・ティーの「スタッフ」も、同じ「ブルースバンド」ということなる。
 半ばあきれながらも、このT君の分析には「なるほど」と頷かざるを得ない部分もある。今回のグラファンについて、「踊れる」ハードロックバンドの一面を、よく言い表している……と、私は思う。

 ブリティッシュ・ハードロックは様式美を追求し、激しい中にも端正さを失わない、言ってみれば「厳しい」音楽に発展していったが、その代償として、本来のポピュラー音楽の重要な要素である「明るくポップなダンス・ミュージック」としての要素がそぎおとされてしまった。それに対してこのバンド、グランド・ファンクは、ハードロックの持つカタルシスの発散の快感と、ダンス音楽の快感と、その両方が共存している。私などは、言葉は変だが「リーズナブルな」ロックだと思う。両方楽しめる分お買い得なバンドという感じである。

 なにより、音楽の楽しさにあふれているのが、このバンドのよいところである。「何を眉間にしわ寄せているんだよ!楽しければ何でもいいじゃん!」という彼らの声が聞こえてくる。「俺たちはそんなアメリカのバンドなんだぜ!」という高らかな宣言は実に痛快。私も含めて、頭でっかちにロックを聴きがちなフリークには耳が痛いほどである。

 その楽しさの根底にあるのがダンサブルなシンコペイトするリズム。出所が古いR&Bであることはまちがいない。友人はそのあたりを感じ取ったのだろう。ルーツに根ざした音楽は強い。曲作り等オーソドックスな分、逆に時流に左右されない部分があるのではないか。私個人としては、音色の古さは感じるが、曲の作りなどには古さはあまり感じないように思う。キャラクターの違う二人のシンガーが揃い踏み、ごりごりした音のカタマリとともに、これでもかこれでもかとシャウトが襲ってくる。それでいながら、歌メロなど実にポップであるし、明るくハッピーなのだ。あなたは、これ以上何を望むのか?

 レア・グルーブ、ミクスチャー・ロック等、古いブラック・ミュージックをいかに現代の音楽にとりいれるかという方法論の流行が今も続いているが、ジェフ・ベック・グループ等と並んで、その先駆者としての評価はできないものだろうか。それとも、これだけアメリカナイズした現在でも、彼らグラファンの音楽は、脳天気過ぎるといわれるのだろうか……。(Dec.1998)



No.4
名前 ごうき
電子メール G1201@aol.com
URL http://members.aol.com/g1201/
いつ聴いたか 1973年夏
その時の境遇 中学生
今でも聞きますか 半年に1度くらい聴きます。
レヴュー本文

 あの独特のカウベルの音を聴いたのは1973年の夏だったと思います 。
GFRの名前は知っていましたが、ポップス少年だった私は、『アメリカン・バンド』を聴く前は(たぶん)友だちから借りた長時間シングル「孤独の叫び」を聴いただけだったと思います。ですから殆ど先入観もなく『アメリカン・バンド』からリアルタイムでGFRを聴き始めました。

 アルバム・タイトルどおり、当時の私が思い描いていたアメリカ、アメリカ人、アメリカン・ロックのイメージにこれほどマッチするアルバムはなかったような気がします。単純明快でその計りしれないパワーに引き込まれ、気がつくと細かいことをちまちまと考えるのが馬鹿らしく思えるような豪放さに自分が染められているような気がしました。 プロデュースがトッド・ラングレンだということや、タイトルナンバーがドン・ブリューワーの曲だということは、当時の私には何の意味もなく単純に楽しんでいました。アルバムは名曲揃いで変化にも富み、飽きません。

 私は今でもそうなのですが、コンセプト・アルバムというものがよく分からず、“良い曲が沢山入っている”のが名盤だと思っています。
「そうするとベスト・アルバムが一番だろ?」と言われそうですが、そうではないところに私の(勝手な)こだわりがあります。 ベスト・アルバムというのは、当然何枚かのアルバムからセレクトされるわけですから、収録曲の時期にばらつきがあります。つまり1曲・1曲 は良くてもアルバム全体からのオーラ、パワーがありません。しかし、レギュラー・アルバムはコンセプト・アルバム云々は抜きにしても、その制作時期のアーティストの魂が込められたことにより発せられるアルバムのエネルギーが好きなのです。ですから収録曲が粒揃いだとそのエネルギーも増大し、私個人の「名盤」となります。

 ビートルズの『ホワイト・アルバム』を、多くの人は統一感がない・バラバラ・散漫だと言いますが、私にとっては素晴らしい名盤です。話を戻しますが、この『アメリカン・バンド』は名盤です。何故GFRやGFRファンが迫害を受けたのか理解出来ません。四半世紀経った今でも「アメリカン・バンド」「ウォーク・ライク・ア・マン」のヒット曲はもちろん、大好きな「クリーピン」「ザ・レイルロード」・・・色あせない魅力・パワーに溢れたアルバムです。(Dec.1998)



No.5
名前 タイラ
電子メール taira-a@okym.enjoy.ne.jp
URL http://www.enjoy.ne.jp/~taira-a/
いつ聴いたか 忘れてしまいました。
その時の境遇 冴えない高校生
今でも聞きますか LPしか持っていないので十数年聴いてません。
レヴュー本文  グランド・ファンク(レイルロード)・・・・は、馬鹿デカイ音で演奏する事で有名だったらしい (本人達は「重要なことはそれだけだ」と言いきっている)なんて伝説の後楽園ライブも見てないし、他のライブを聴いた訳でもない。ステレオをでっかい音で聴いても体感音圧は違うでしょ?それはともかく、ビートルズに対してモンキーズがそうであった様に、ゼッペリンやパープルへのアメリカ式返答が“グランド・ファンク”なんだ!!なんてことを言うと「ほら、そーれみろ!」って「グランド・ファンクって名アーティストなの?」「『アメリカン・バンド』って名盤なのかい?」なんて疑問符つきのお言葉を頂戴してしまうハメになるんですけれど。だけど、もともとハードロックってそんなに深刻なもんでもないんだよね。ムキムキのマーク・ファーナーが見た目に小さなギターを抱えて飛び跳ねている(大人がランドセルしょっている風にも見えてしまう)ガンガンに演奏する、観客はノリノリそれでいいでしょ?いや、そんなもんですよ。

 さて、肝心の『アメリカン・バンド』は"奇才"トッド・ラングレン(トッドにはこの形容詞を必ずつけることになっている)によってプロデュースされた最も有名な一枚。世間的には ポップとかメロディアスとか言われているけどつまりは、ご家庭のステレオでも(小さな音でも)とても楽しめるってことです。'69年 デビュー以来、その存在に常に批判が付きまとうグループというのも珍しいけれど、彼ら自身は逆にそれを利用しているところがありますよね。

『アメリカン・バンド』は最大の“仕返し”なんだろうな。批判するのは容易いけれど・・・・グランド・ファンクは決して過去の遺物ではなくて'70年代の遺産なんだ!ともう一度申し述べたいのです。結局はどのような了見でこのグループ/アルバムを捉えるかによってこの『アメリカン・バンド』は素晴らしい名盤になるんです。自ら言い放っているじゃないですか「俺たちゃ、アメリカのバンドなんだぜ」って。(Apr.99)



INDEXへvol.2へ

HOME